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血の雨

サヴァンの庭 ボーレンス
少女、囚わる後
デルシャール邸へを選択

 深い轍《わだち》のついた道を、小走りで駆け抜ける。 目指すはルブター・デルシャールの邸宅だ。
 本当にハリエットが向かったかどうかは定かではない。だが、どうしても気に掛かる。

 道はそれなりに整備されているし、既に一度通った経験もある。
 苦もなく、○○○は複合庭園の前にまで到達することができた。

 そのまま手近な庭園に足を踏み入れようとして、違和感から立ち止まる。
 見覚えの無い彫像が2体、こちらを向いていた。
 ……いや、そうではない。彫像はこちらを“向きつつある”のだ。

 2体の彫像が、○○○を視認して弓を引き絞る。以前にはこんなものは無かったはずだ。
 どうやら、ルブター氏は新しい警備兵を手に入れたと見える。

ネジ巻き警備兵
〜戦闘省略〜

     ***

 破壊したネジ巻き警備兵の台座から、低い警報音が鳴り始める。
 さほど大きな音ではないが、遠くまで良く伝わりそうな音質だ。 思わず悪態をつきそうになった。

 人間の警備兵が見つかると厄介だ。
 というより、実際に一度家宅侵入までやっているわけだから、 大変面倒なことになると予想される。
 一旦身を隠して様子を見るべきだろうか? 例えば、迷路庭園にでも走りこむなどして。

 とりあえずこの場を離れようと歩き出したところで、 うっかり足元の異物を踏みつけそうになった。

(……なんだ?)

 すんでのところで足を止めた。
 今しがた叩き壊した彫像の破片かと思ったが、 ちらりと見えた色がどうもそんな感じではない。

 拾い上げてみると、それは紐の通った黒い球体のペンダントだった。
 球体には小さな三角形の突起がふたつあり、 それを耳に見立てて稚拙な猫の意匠が施されている。

(これは……)

 リンコルンの野良猫市場で、店主からハリエットに贈られた品物と見て間違いはないだろう。
 こんな手作りくさい珍妙な細工物がそこら中に落ちているとは考えにくい。
 以前、指輪を盗みに入った際にハリエットが落として行ったのだろうか?

(いや、違う)

 そうではない、とすぐに思い至る。
 あの後、ルーメンの村に続く街道でハリエットに出会った時に、 彼女はまだこれを持っていた。
 そう、確か彼女がマノットの目的について問い質していた際 『このペンダントをあげるから消えてくれ』というような意味のことを言っていたはずだ。

 つまり、少なくともルーメンの村に行った日よりも後で、彼女は再びここを訪れている。
 ……そして、おそらくまだ帰ってきてはいない。

 ぽつり、と足元に雨粒が落ちてきた。
 顔を上げると、いつの間にか空には灰色の雲が鈍く立ち込めていた。
 雨が来る。

     ***

 ――勉強代が、手と足?

 何を言ってるんだろう、この人は。
 拘束されたハリエットの脳裏に、いつかの黒猫の言葉がよみがえる。

『……その昔ベルン公国では、盗人を捕らえた際に両手を斧で切り落としたと言いますニャ』

 両手を切り落とす。
 ハリエットは平静さを失いそうになり、慌てて恐ろしい想像を打ち切った。
 幾らなんでも、それは昔話だ。大丈夫。現代でそんなことがあるはずがない。

「左の篭手は外さなくて良いのか?」

 ルブターがハリエットの左手を指して、男の中の一人に問い掛ける。
 右手の方は既に外されていた。

「先ほど試したのですが、どうも上手く外せませんで」

「呪われているのかもしれんな」

 ルブターは冗談を言ったつもりらしく、一人で自分の言葉に笑った。
 ハリエットの背後に立っている禿頭の男が口を開く。

「肘から離断する場合は少々邪魔ですが、今回はそのままで問題無いでしょう」

「そうか。では始めよう」

 ルブターが言うと、しばらくしてハリエットの背後で重い金属音がした。
 肩越しに音の方を見ると、先ほどの禿頭の男が壁から大きな斧を取り外したところだった。

「冗談……だよね?」

「この期に及んでまだそんなことを言うのだから、まったく度し難い」

 ルブターは心底あきれたと言いたげに首を振る。
 斧を持ってきた男が無表情のまま問い掛ける。

「両手足となると出血性ショックで死に至る危険がありますが、このままで?」

「ふむ……?」

「ショックと言いましたが驚くという意味ではなく、この場合は循環機能の――」

「そんなことは解っとる。まあ最初の一本ぐらいは派手にいっとこう。 残りは先に止血するなりして上手く調整してくれ」

「では、そのように」

 それを合図に、何かの準備が始まった。かすかに薬液の臭いが漂ってくる。

「嘘でしょ? 嘘だよね?」

 ハリエットは助けを求めるように左右を見回したが、男達は皆無言で淡々と作業を進めている。

「何が嘘なものか。許されないとは本来こういうことを言うのだよ」

 すぐにハリエットの左腕が後ろ手に捻られ、再び上半身を机に突っ伏す形で押さえつけられた。
 露出した右腕は横に伸ばされ、机の上で固定される。
 ルブターは目を細めて、ハリエットに告げた。

「まずは右腕にお別れを告げると良い」

 全身から血の気が引くのを感じた。
 そこまでする人間がいるはずがない。そう思っていた。
 さっきまでは。

「どうした、顔色が悪いぞ」

 ルブターはくつくつと笑い、しわがれた指先でハリエットの頬から首へ、 更に肩から腕へと撫で下ろす。
 反射的に身体がぴくりと小さく跳ねる。嫌悪感から鳥肌が立った。

「もっと愉しいお仕置きを期待していたのかね? それなら心配することはない」

 逃れようと身をよじるハリエットの耳元に、ルブターが口を寄せて囁きかける。

「勿論たっぷり可愛がってやるとも。……お前を芋虫にした後でな」

 ハリエットの瞳が、今度こそ恐怖に見開かれた。次いで、その目に涙が溜まる。
 何か言わなくてはいけない。今すぐに。謝るべき? 許しを請う?  だが、一体どう言えば良いのか判らない。
 口を開くと、嗚咽が漏れそうになった。言葉が通じる気がしなかった。

 ルブターはハリエットの様子を見て満足げに微笑むと、 再び椅子に深く腰掛け、事も無げに言った。

「やれ」

 男が斧を振り上げる。

「嫌!!」

 薄暗い地下室の中に、ハリエットの絶叫が木霊した。

     ***

 どさり、と重い音がして、何かが床の上に落ちた。

 ハリエットは力いっぱい目を閉じて身を硬くしていたが、 予期されたような恐ろしい痛みは訪れない。
 代わりに、どういう訳か自分を押さえつける男達の手が緩んでいくのを感じた。

 恐る恐る顔を上げると、涙で滲んだ視界の中に、呆け顔で固まるルブターの姿が見えた。

「――処刑ごっこは楽しいかい?」

 若い男のよく通る声が、背後に聞こえた。



 振り返ったハリエットが見たのは、冷笑を浮かべた銀髪の青年だった。
 黒衣の裾から伸びた指先には一枚のトランプが挟まれ、縁から赤黒い雫を滴らせている。
 つい先程までそこに立っていたはずの禿頭の男は、姿が見えなくなっていた。

「俺も仲間に入れてくれよ」

 青年が床に落ちていた物体を靴先で転がした。
 何だろう。

 視線を落としたハリエットが最初に認めたのは、 斧を握ったまま血溜まりの中で真っ赤に染まる両腕だった。
 でもそこにあるのは、肘から先の部分だけだ。では奥に転がっている物体は――。

 ハリエットは再び絶叫し、自分の瞳が捉えた鮮明な映像を意識から締め出した。

「何だ、貴様は!」

 ルブターが青年に向けて唾を飛ばした。

「通りすがりの手品師」

 青年は悪びれた様子もなく答えて、口元を緩めた。
 ハリエットはこの場を離れようともがいたが、 極度の恐怖と緊張から立ち上がることすら出来ず、 枷のついた両脚はタイルの上を滑っただけだった。

「そいつを殺せ」

 ルブターが命ずると、男達は驚くほど素早い動きで、 壁に掛かった刀剣や斧を手に取った。
 それから青年の周囲を取り囲むように位置を取り、間合いを計る。

「お前らの目は、人殺しの目だな。話が早くて嬉しいよ」

 青年は持っていた一枚のトランプを顔の前に構えると、 ぞっとするような冷たい笑みを浮かべた。
 男達が意味のない咆哮を上げながら、一斉に青年に襲い掛かる。
 そして――次の瞬間から、地下室は血の雨に包まれた。

     ***

 再び地下室に静寂が戻ってきた時、 ハリエットは全身に返り血を浴びながら、立ち上がることもできないまま泣いていた。

 床はおびただしい量の血液と汚物にまみれ、 部屋の壁も天井も出鱈目に赤黒く塗られている。
 部屋の中でまだ生きている者は、ハリエットと青年とルブターだけ。 他の男達はもう、生死を確認する必要すらなかった。

「な……何者だ、貴様? 殺し屋か?」

 ルブターが椅子に座ったままで言う。

「手品師だと言わなかったか?」

 青年がカードを持つ手を一度だけ振った。
 カードから滴る液体が残らず流れ落ち、 飛沫となってルブターの背後の壁に飛ぶ。斑に染まった壁面に、 新たな黒い線が書き加えられた。

「わかった。娘はすぐに解放しよう」

「そんな小汚い娘しらん」

「何が望みだ? 幾らで雇われた? 金なら二倍、 いや三倍出そう! わしの護衛をやってみんか?」

「それは中々、面白い冗談だ」

 青年がトランプを持つ手を顔の横に掲げた。

「待て……どうするつもりだ。殺すのか、わしを」

「さてどうかな? 上手くいったら大きな拍手をお願いいたします」

 青年は横目でハリエットを見てにやりと笑うと、 指先と手首の動きだけでルブターに向かってトランプを投じた。
 軽い音を立て、カードは難なく老人の眉間に突き刺さる。
 ルブターはくぐもった声を上げて目を白黒させ、舌を垂らしたきり動かなくなった。

「幾分、下品な幕となりました」

 青年がハリエットに向き直り、慣れた仕草で深く一礼をする。

 ハリエットは拍手を求められていることを理解した。
 だが、できなかった。

     ***

「さて……」

 銀髪の青年が、この上ない惨状を呈する室内を見回した。
 そのまましばらくあちこちを物色していたが、やがて「ここはハズレだ」 と残念そうに言った。

「あ……の……」

 ハリエットはやっとの思いで声を上げたが、顎が震えて歯の根が合わず、 上手く喋れなかった。
 青年はハリエットを無視して階段に歩み寄り、上に向けて声を掛ける。

「おーい、メルキオール」

 階上から「はーい」と少年の声が返ってきた。

「下は何もないぞ。また何か間違ってないか?」

 たたた、と軽い足音が階上に響く。
 しばらくして、一人の少年が階段口から顔を覗かせた。長い黒髪の少年だった。

「こっちで見つけました。地下じゃなくて2階の部屋でした。えへへ」

 少年は地下室の惨状を目にしても全く動揺することなく、 照れ笑いを浮かべて頭をかいた。

「また誤差か。まあ良い、それじゃ帰ろうか」

 青年が階段に足を掛ける。ハリエットは精一杯声を振り絞り、彼を引き止めた。

「待って!」

「ん? ……ああ、忘れてた」

 青年は振り返ると、ひゅん、とカードを1枚無造作に投げつけた。
 カードはハリエットの足首を繋ぐ木枷を難なく断ち割り、そのまま床のタイルに突き刺さる。

「言っとくが、別にお前を助けたわけじゃない。こいつらがあんまり不愉快なんで、 からかってやっただけだ」

「あの……ありがとう。でもそうじゃなくて……その」

 ハリエットは一つ大きく呼吸をして心を決め、青年を真っ直ぐに見た。

「ひょっとして、ユベール?」

 その言葉に一瞬、青年は虚を突かれたように動きを止めた。
 僅かに眉をひそめ、怪訝そうに聞き返す。

「――何故、俺の名前を知っている?」

 ハリエットは顔を輝かせた。

「やっぱり! ユベールだよね! 私だよ、ハリエットだよ!」

「ハリエット……?」

 ユベールは少しの間考え込んで、かぶりを振った。

「わからない。俺は、お前を知らない」

「そんなはずないって! よく思い出してみてよ、ほら小さい頃にさ――」

「ユベールさーん、そろそろ帰りますよー?」

 足を止めていたユベールに、上から少年が催促した。

「ああ。今行く」

 それで会話は終わった。
 ユベールは最後にハリエットを一瞥したが、そのまま無言で階段の上へと消えていった。

     ***

「何だよあいつ……忘れるかな、普通」

 一人部屋に残されたハリエットは、両手を使ってやっとのことで低い机に這い上がった。
 様々な液体を吸った服が重く身体にまとわりつく。着替えが必要だった。
 臭いも大変なことになっているはずだが、嗅覚はとうの昔に麻痺していた。

「帰ろ……」

 一息ついてから立ち上がろうとして、ハリエットは激しい目眩に襲われた。それから、 机の脇に嘔吐した。
 右手で口元を拭い、再び机の上に倒れ込む。全身の筋肉が強張っていた。

「……痛い」

 じっとしていると、しばらく忘れていた痛みが体中によみがえってきた。
 ルブターに殴られた頬が、枷で擦り切れた足首が、酷く抑えられていた腕が、 肩が、どこもかしこも痛かった。

 そっと自分の肩を抱く。
 手足が冷たく重い。まるで身体が土で出来ているみたいだった。
 一刻も早くこの部屋を抜け出したかったが、ここから階段までの僅かな距離さえ、 今では絶望的に遠く見える。

 ――疲れた……。

 本当に、酷く疲れていた。
 それを自覚した途端、急激にまぶたが重くなり、思考の輪郭がぼやけていく。
 今すぐ柔らかいベッドに飛び込めたら、どれだけ幸せだろう。

 だが、この部屋にはベッドどころか、机のほかにまともな家具はない。
 あとは肉の塊が乗った椅子と、床を汚すぶつ切りの具材とスープばかり。 ごちゃ混ぜになった液体はタイルの間を伝い、壁際の側溝に向かってゆっくりと流れていた。
 掃除をする人が大変だ、とハリエットは霞の掛かった頭で考える。水を流せる部屋で良かった。

 ――ここでは……寝たくない。

 そう思いながらも、ハリエットは結局まぶたを閉じた。
 静かだった。
 ユベールと少年の気配はもう感じられない。しばらくそうしていると、 微かに外の音が聞こえてきた。

 雨が降り始めたようだった。
 奇妙なことに、遠くで警報ベルの音まで鳴っているような気がする。
 でも、そんなことはもうどうでも良い。

 最低の部屋の中で眠りへと落ちながら、ハリエットは小さな希望に包まれていた。

 ――良かった。

 先刻のユベールの姿が、脳裏によみがえる。

 ――やっぱり居たんだ。ルーメンの村の、生き残り。

─End of Scene─





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