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空を穿つ穴



鱗持つ巨鳥



〜戦闘に勝利〜

     ***

 シャンタク鳥の肉体が浜辺に倒れこみ、腐肉を飛び散らす。
 ――勝った。そう思った時だった。

 ぞわり、と違和感が身体の中を駆け抜けた。
 同時に平衡感覚の喪失が起こり、足元の景色が歪んで見えた。

「……何、今の?」



 マリーが弾かれたように上を見る。彼女の視線の先には、 切り立った崖がそびえていた。
 上には建物があるようだが、 ここからでは角度的に殆ど見ることが出来ない。
「あそこは、ルイーズの修道院……?」

 マリーがつぶやいて、眉をひそめた。

「空が……」

 先刻まで雲ひとつ無かった青空に、黒い暗雲が渦を巻いていた。 その中心が丁度、崖の上に位置しているように見える。
 何か異変が起こっているのは確かなようだった。

     ***

「たのもー」





 黒服の少女――ジュリエッタは騎士修道院の正面扉をどんどんと叩いた。
 ややあって、門の脇にある小さな扉が開き、金属の甲冑に身を包んだ男が姿を見せた。

「何だ、子供か」

 男はにべもなく言うと、扉の外に出て直立不動の姿勢を取った。

「わざわざ来てくれたところ悪いが、ここは見学できないよ。 残念だったね、お嬢ちゃん。……あっちにいるのは、 お兄さんとお姉さんかな?」

 男がジュリエッタの後方、少し離れたあたりを指差した。
 そこでは目の前の娘にそっくりな少女と落ち着いた感じの銀髪の青年が、二人並んでこちらを見守っていた。
 ジュリエッタはそれを無視して聞き返す。

「なんで見学できないの? なんか良い物でも隠してある?」

「はは。まあそんなところだよ」

「じゃあ、それ、もらって行くから。 あんたはパンチの練習台になってくれる?」

「うん?」

 ジュリエッタは怪訝な顔を見せる男にすたすたと歩み寄る。
 そして、男の前でぐっと腰を捻って拳を構えた。

「せーの!」

 ジュリエッタは身体を回転させるようにして、 金属鎧を着た男の腹部に下から大振りの拳を叩き込んだ。

 鈍い打撃音と破砕音が同時に響き、 男の身体が凄まじい勢いで後方に跳ね飛ばされた。
 男の身体は半開きになっていた扉を粉砕し、
建物内で天井付近の石壁に激突してから人形のように力なく地に落ちる。
 彼の着た金属鎧の腹部は大きく内側に沈み込み、ろうとのように深く暗い口を覗かせていた。
 男は即死していた。

「まずひとーり」

 ジュリエッタが八重歯を見せて笑った。
 そのまま歩き出そうとして「あれ?」とジュリエッタは自分の足が動かないことに気付く。

 見ると、足元の石畳が蜘蛛の巣状にひびわれて、 ジュリエッタの両足は足首まで地面に呑み込まれていた。
 路面の舗装に使われるような石では、 ジュリエッタの繰り出す打撃の反作用を受け止めるには不充分だ。 そのことを、彼女は学習した。
「よいしょ」

 左右の足を順番に地面から引き抜いて、 ジュリエッタは埃だらけになった靴の表面を手で払った。
 それから、後ろで見ていたユベールとジュリアンヌの方を振り返る。

「今のが騎士って奴?」

 そう言ってジュリエッタは、 口の端に散っていた男の返り血を舌先で舐め取った。

     ***

 それから数分の後、 騎士修道院内は彼らの歩いた道順に沿って血染めになっていた。
 双子の少女は、笑いながら騎士達を虐殺して回っていた。

「完全に力だけのゴリ押しだな……」

 ユベールは不安そうに二人の後をついて歩く。 彼自身はまだ傍観に徹していた。
 双子の少女はただ出会った者を殺しながら真っ直ぐ院内を進んでいるだけで、隠密行動をしようなどとは全く考えていないようだった。
 逃げ出す者を追うこともしないため、現時点で既にユベールを含む侵入者のことは、しかるべく情報伝達が終わっていると考えて良いだろう。 無計画で行き当たりばったりの襲撃だった。
 やがて廊下の先が明るくなり、 三人は中庭に造られた訓練場へと辿り着く。
 石畳の広場には、 手に手に槍や槌を持った十名以上の騎士達が待ち構えていた。

「止まれ」

 怜悧《れいり》な目をした黒髪の男が、 剣を腰に帯びたままで騎士の集団から一歩前に進み出た。
 周囲の者達と異なり、その男は重厚な鎧兜ではなく、 動き易さを重視した軽防具を身に着けている。
 それでいて、騎士集団の中では最も威圧的な気配を放っていた。

「私は当院を司る騎士団長、マクシミリアン・エイゼレンクライス。 これよりお前達三名を異端の咎《とが》により処分する。 何か言い残すことはあるか?」

「おー。偉そうなのが出てきたよ!」

 ジュリエッタは嬉しそうにユベールを振り返った。

「俺達は異端なのか?」

 ユベールは首を捻った。それから、 一応対話を試みるべく小声で指示を出す。

「……とりあえず、ここの閉架がどこにあって、 何が収められているか訊いてみてくれ。 あと俺達の目的は殺戮じゃないってな」

 自分が直接言うよりは、 この子達に話させた方が聞く耳を持ってくれるだろう。 ユベールはそう期待した。

「へーかってどこにあるの?」

 ジュリエッタは後半部分を省略して質問した。 男は眉一つ動かさずに答えた。

「それが最期の言葉で良いか。ならば、 無思慮な行動で修道院を汚した愚を、 聖賢アーネムの座の前にひざまずいて後悔するが良い」

「……だってさ」

 ジュリエッタが再びユベールを振り返った。まずいな、 とユベールは直感した。

 このマクシミリアンという男は、そこらの雑魚とは少し格が違う。 立ち居振る舞いからそれがありありとにじみ出ていた。
 双子と比較した場合の強さは不明だが、 地味で徹底的な基礎鍛錬の積み重ねが、 揺ぎの無い基盤となってこの男の自信を裏打ちしているのは確実だろう。
 そしてそれは、目の前の双子の少女に最も足りないものでもあった。

「総員武器を構えよ。あとの事情は死体から聞き出せば良い」

「しかし、マクシミリアン様……」

 脇に控えた騎士は、双子の姿を見て動揺しているようだった。
 無理もなかった。処刑を指示されたその対象は、 どう見ても幼い人間の少女でしかない。

「外見に惑わされるな。全員“それ”を人間だとは考えないことだ」

「私達、れっきとした人間ですわ」

 ジュリアンヌが頬を膨らませる。

「一切聞く必要は無い。言葉が通じるということと、 心が通じるということは全く別だ。納得行かぬなら、 まず私が手本を見せよう」

 マクシミリアンはすらりと装飾の無い剣を引き抜いた。

「敵の本質を見極めろ。それらが圧倒しているのは、 単に腕力だけだ。姿勢を見ただけでも体捌きは素人同然だと判る。 ならば実質、野生の獣となんら変わらぬ。――いや、それ以下だ」

 白服の少女は柳眉を釣り上げた。

「こいつ、私が殺しても良いかしら?」

「おー。一騎打ち? じゃ、私はユベールと一緒に応援するね。 がんばれー」

 黒服の少女――ジュリエッタは、 一歩下がってユベールの隣で手を振り上げた。
 白服の少女――ジュリアンヌは、 姉の声援を受けながら数歩前に進み出る。 未だ戸惑う騎士達をよそに、マクシミリアンも単身前に進み出た。

「せいっ!」

 ジュリアンヌは間合いに入ったと見るや、 あからさまに大きな動きで正拳を繰り出した。
 マクシミリアンはわずかに身を捻って拳の直撃を避けると、 突き出された少女の腕の上から、 何のためらいも無く白刃を振り下ろした。

「ぎゃっ!」

 少女の右腕があっけなく肘から切断され、鮮血と共に宙を舞った。

「あははは! ジュリアンヌやられてるー」

 双子の妹が腕から血を吹き上げるのを見て、 黒服の少女は指を差して笑った。

 マクシミリアンは続けざまに少女の首を刎ねようとしたが、 目の端でユベールの姿を捉えた瞬間、 反射的に地を蹴って間合いを取っていた。

「……手出し無用というわけではなさそうだな?  保護者のお兄さん」

 マクシミリアンは嘲るように言った。
 手品師風の青年はいつの間にか取り出したカードを指先に構え、 突き刺すような視線と殺気で、無言の内に質問に答えていた。
 単なる牽制ではないことをマクシミリアンは理解し、 更に数歩の間合いを取る。それから、 広場に集った騎士達に大声で言った。

「見ての通り、これは我々の技術で充分に対応できる相手だ。 敵が常に化け物の姿をしているとは限らない。 対外来生物訓練の一環と考えよ」

     ***

 敵は冷酷かつ冷静だ――ユベールはそれを知り小さく嘆息した。

「一旦退こう。お前達でも出血は危険だ。もしくは俺が――」

「うるさい!」

 白服の少女は脂汗を流しながら腕の断面を残った方の手で押さえ、 燃えるような目でマクシミリアンをにらみ付けた。

「こいつは私が殺す!」

「まーまー、落ち着いて。ほらこれあげるから」

 黒服の少女は笑って、地面に転がっていた腕と服の袖を拾い上げ、 まとめて妹に放り投げた。
 ジュリアンヌは慌てて左手でそれをつかみとる。

「ひとの腕をぞんざいに扱うな! あんたの腕も落としてやろうか!」

「うわーん。ジュリアンヌが怖いよー」

 ジュリエッタはおどけてユベールの腕にすがりついた。
 ユベールは黒服の少女の手を振り払う。

「いい加減にしろ。 この場にメルキオールが居ればお前達を強制退去させるところだが…… やはり起きてくるまで待てば良かったな」

「はいはい。まぁ、あんまり心配させてユベールがハゲたら困るから、 そろそろ治しまーす」

 ジュリエッタは妹のもとに屈み込み、 鼓動のリズムで血を吐き出し続けるその腕に、 先程渡した腕の断面を合わせて位置を整えた。

「向き、あってるよねー」

 それから傷口の上に掌を添え、 円周に沿って撫でるように動かす。
 切断された腕はたったのそれだけで接合され、 ジュリアンヌの白い肌には髪の毛一筋ほどの傷跡も残らない。
 ただ既に流れた血の跡だけが、 肘を中心として不自然に腕を染めていた。

「全く……死ぬかと思いましたわ」

 ジュリアンヌは接合されたばかりの右手を、 握ったり開いたりして感覚を確かめた。

「今ので解ったろう。 あのマクシミリアンという男の相手はお前達では無理だ。 まだやる気なら、単に殺せ」

 はーい、と生返事をして、ジュリエッタが立ち上がった。
 ジュリアンヌの方はまだ右手を気にして何事かやっていたが、 少し遅れて立ち上がった。

「もう……! 服が駄目になってしまいました」

 そう言ってジュリアンヌは右手を動かして見せた。
 どうやら切り落とされた服の右袖を、 ピンで応急的に繋ぎとめていたようだ。

「今度ユベールに買ってもらえば良いじゃん」

「勿論そうさせて頂きますわ。……では、お姉さま、やりましょう」

「うん」

 双子の少女が左右に並び立ち、すっと片腕を差し上げた。
 二本の腕が綺麗な対称形を作るように青空に伸ばされ、 その指先は何かを掴もうとするかのように開かれる。
 そして、二人は同時に口を開いた。

『我、今、甘露の門を開く!』



 ――少女達がその言葉を発した瞬間、空に異変が起こった。
 突如として発生した暗雲が渦を巻き、 二人の上空に円形の“穴”が開く。
 立ち込めた暗雲と穴自体が陽光を遮り、 周囲は日蝕に似た局地的な闇に包まれた。

「何だ……これは」

 マクシミリアンは絶句した。
 天に穿たれた穴の内部は、 藍とも紫ともつかぬ深く曖昧な色にうねっていた。 雷鳴と共に無数の閃光がその周囲を走り抜ける。

「等しく我らを照らしませ! 汝、導く者、チューブラー・ベルズ!」

「一切衆生を清めませ! 汝、奏でる者、マウス・オヴ・マッドネス!」

 少女達の言葉に応えるように、 上空の穴からこぼれ落ちた幾筋かの光が二人の手の中へと降り注ぐ。
 次の瞬間、白服の少女が伸ばした手の先には巨大な鉄槌が、 黒服の少女の方には巨大な斧が宙に出現していた。

 次いで、苦悶の声がそこかしこで上がった。 空を見上げていた騎士達が激しい耳鳴りと目眩を訴え、 次々と膝を折る。
 ある者は壁に寄りかかり、 ある者は石畳の上に顔から倒れ込んだ。 殆どの者がそのまま昏倒し、動かなくなった。

「化け物め……!」

 マクシミリアンは脂汗を流しながら膝を折った。
 彼は剣を杖にして立ち上がろうと抵抗したが、 全身を襲う違和感は平衡感覚の喪失だけには留まらず、 よしんば立てたとしても、戦うことは到底出来そうも無かった。

 少女達は空に浮かんだ得物を手に取ると、 柄の部分を己の肩に預け、担ぐ形で受け止めた。
 その斧と鉄槌は彼女達の体躯と比べてあまりにも大きく、 到底人間が扱えるような代物ではなかった。
 だが、彼女達は涼しい顔をして平然とその重みを受け止める。 絶大な荷重で二人の少女の身体は地面に沈み込み、 粉砕された舗石が細かい礫となって高く跳ね上がった。
 二人の足元を中心として無数のひび割れが中庭を走り、 大きく陥没した地面は二つの相似形のすり鉢を成していた。

「解説いたしましょう。“甘露の門”の影響下では、 私達は通常の三倍の能力を発揮できるのですわ」

「あはは、ジュリアンヌうそばっかり」

 ジュリエッタはけらけら笑った。

「さっきの一連の台詞、お前らが考えたの? 汝がどうとか」

 ユベールは廊下と広場の境界付近で壁に背をもたれ、 暗雲渦巻く中庭の上空を見上げて言った。
 先刻まで彼がみなぎらせていた緊張感は、既に消えていた。

「ジュリアンヌが考えたんだよー。何か言った方がメリハリついてカッコイイって」

「ユベール様も何か決め台詞を用意した方が楽しめると思いますわ。 必要なら、私が後で何か考えておきますけれど」

「いや、俺は別にいい……」

「でも全員動けない人だと、面白くないんだよねー。 門が閉じるまで待ってみる?」

 ジュリエッタは言って、ぶん、と片手で巨大な斧を水平に振った。
 風圧が刃となって中庭の壁を一文字に砕き、 たまたまそこでうずくまっていた数人の騎士をまとめて鎧ごと両断した。
 ジュリアンヌは横目でその様子を見つつ、鉄槌を手に、 床石を踏み割りながら一歩ずつマクシミリアンに近付いていた。

 マクシミリアンは混濁しつつある意識の中でそれを感じ取り、 全ての気迫を振り絞って顔を上げる。
 視線の先で、少女の形をした白服の死神が、 鉄槌を片手に嗜虐的な笑みを浮かべて彼を見下ろしていた。

「貴方は私が、ぐちゃぐちゃのひき肉にして差し上げますわ」

 マクシミリアンは、自分の敵がサディストであることを知った。
 そして、せめて自分が即死させてもらえることをアーネムに祈り、 全てをあきらめた。


続く・・・


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