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沈む天秤 |
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擬似円環の上方に、老紳士の姿があった。 彼は右手にステッキを、左手には液体の入ったガラス箱のようなものを持っている。 その身体は何の支えも無いまま宙に完全に固定され、僅かたりとも揺れはしない。 「無礼な扱いになったことをお詫びしますよ、リーシェ。お変わりありませんか」 言いながら、バルタザールは静かに床にまで下りて来た。 「バルタ……ザール……」 マルハレータが血を吐きながら、老紳士の立つ場所を目指し、手で床を這う。 バルタザールはじりじりと這い寄る彼女には目もくれず、静止状態のリーシェに語り続けた。 「さすがに不自由でしょうから、会話できる程度には身動きを許可しましょう」 彼が指を鳴らすと、リーシェの身体がぴくりと小さく跳ねた。 「……偉そうに」 リーシェは唇を噛んで自分の手を見つめ、指を順に折って動きを確かめる。それから静かに視線を上げ、朱色の瞳でバルタザールを見た。 「アタシが“聖筆”でなかったら、あるいはお前が“天秤”でなかったら、殺しているところだ」 「色々と矛盾をはらんだ発言ですな。ともあれ、貴女に来て頂けたことで、準備は整いました。あとはメルキオールを待ちましょう。程なくこちらへ来るはずです」 「メルキオール?」と、リーシェは怪訝な顔をする。 「とうとう記憶まで危うくなってきたか? メルキオールは人間の手で消されたはずだ。霊子状態は失われている」 「確かに、厳密には“まだ”メルキオールではありません。しかしながら、肉体的な意味ではほぼ完全に彼と同一です。内包的なエネルギー量においても、間もなく“聖杯”に近い次元に到達するでしょう」 彼が語り終えたところで、がくん、と広間に低い音が響いた。 無人の台座がすっと伸び、上の階へと昇っていく。再び台座が降下を始めた時、その上には一人の少年の姿があった。 「お待たせしました。こちらは終わりました」 少年は長い黒髪を小さく揺らし、降下中の台座から下を見て言った。 「思ったより早かったですな。食べ残しはありませんか?」 「ちゃんと、予定通りですよ」 「それは良かった。しかし、わざわざそんなものに乗らずに急いで欲しかったですな」 言われて、えへへ、とメルキオールは台座の上で笑ったようだった。 「少しでもエネルギーを節約したかったので。――あ、そちらのお姉さんは、初めましてですね」 台座が床に着いて、メルキオールはぴょこんとその上から飛び降りた。 「……こいつは、何故動いてる?」 リーシェは一層怪訝な顔で少年を見つめる。 「メルキオールの霊子状態は確かに失われていた。……アタシ達は再生を試みはしたが、意識は宿らなかった」 「もちろん貴女の言うとおり、これは我々の知っている“メルキオール”ではない。実は私も、彼が何故今動いているのか、正確な原理は把握しておりません。まず遠隔操作の類だと思いますが」 「なるほど。外部から操作されているだけなら、原理的には納得できる。だが、操作している主人格は誰だ?」 「それは、貴女も知っている、あるアウターズです」 バルタザールが薄く笑う。 まさか、とリーシェは息を呑んだ。 「そう、貴女が永久氷壁の下に封じた、あのアウターズですよ。彼は今や“聖杯”を取り戻すための協力者です。そして、真の聖杯に不可欠な“メルキオール”の魂は、ここに在る」 バルタザールはガラスの箱を掲げて見せた。継ぎ目の無いその箱の中には、茶色い液体が一杯に詰まっている。 「リポジトリ、か」 「さよう。“メルキオール”の霊子状態は消されたのではなく、抜き取られて保管されていたのですよ。我々はかつての人間達が聖杯の破壊を試みたのだと理解していましたが、そうではなかった。彼らは聖杯を盗もうとしていたのです。まったく想像を超えた欲深さですな。……が、しかしそのお蔭で、聖杯を取り戻す道もまた残された」 びし、と鋭い音が走り、バルタザールの掌の上でガラス容器に亀裂が入る。 老紳士がひと睨みすると、容器は内圧で弾けるように粉々に砕け、液体と共に飛散した。その無数の欠片と低温の液体すべてが、老紳士にぶつかる寸前で蒸発して消える。 バルタザールの手の上に、青い光沢を持った小さな宝石のような球体だけが、ぽとりと落ちた。 「“メルキオール”のリポジトリと、原子レベルで近似された肉体、加えて適切なエネルギー量があれば、貴女なら聖杯を復元できる。そうですね、リーシェ」 *** そこまで話してから、老紳士は思い出したようにマルハレータを振り返った。 「最後の仕上げと行きましょう」 次第に回復しつつあったマルハレータは、半身を起こしてそれを見返す。バルタザールは彼女を見下ろして言った。 「ではどうぞ、メルキオール」 「はーい」 駆け寄ったメルキオールが、半身を起こしたマルハレータを抱きかかえるように両手を伸ばす。 「一体どういう……」 怪訝な顔をしたマルハレータの言葉は、最後まで発せられることは無かった。 代わりに、くちゅり、と湿った音が広間に響く。 何が起きたのか、しばらく理解できなかった。 少年がマルハレータを抱きしめたと思った直後、その両腕は何の抵抗もなく、彼女の身体を通り抜けていた。 まるで巨大なプリンにでも抱きついたかのように。 そして、彼の腕が通過したあとには何も残っていなかった。 少年はこちらに背を向けたまま、幾度か同じ動きを繰り返す。 そこで何が行われているのか、○○にはハッキリとは判らない。ただ不吉な音だけが広間に反復され、大きなプリンは一分と経たない内にすっかり無くなったようだった。 「ごちそうさまでした」 ふう、と息をつき、全身を真っ赤に濡らしたメルキオールが振り返る。 彼の顔と身体を彩った液体は、砂漠に撒いた水のように見る見る染み込み、ついには服の汚れひとつ残さずに消え去った。 満足そうに微笑む少年を見て、バルタザールは顔をしかめた。 「無茶は止めて下さい、メルキオール。人間は普通、そんな方法で吸収を行うようには出来ていません」 メルキオールは「えー」と不満の声を上げて老紳士を見返す。 「だって人間の構造って、すごくまどろっこしいんですもの」 唇を尖らせてそう答えてから、ふと少年は注がれる視線に気付いたように○○を振り返り、えへへ、とはにかむように笑って見せた。 *** 「バルタザール……これは一体どういうことだ」 広間に新たな声が響いて、視線が集中する。そこに立っていたのは、グラールだった。 擬似円環にある扉のひとつが開け放たれている。いつからそこに居たのか判らないが、彼は今の光景を目撃したようだった。 「その化け物は何だ? アーネムの聖筆はどうなった? エマは――」 「エマちゃんなら、こちらです」 メルキオールがにこにこしながらグラールの反対側にある扉を指差した。 ぎい、と重い音を響かせて扉が開く。その向こうには、教会の子供達よりも尚幼いような、赤い髪の娘が一人で立っていた。 「エマ……?」 グラールが、様々な感情の入り混じった声を上げる。 エマと呼ばれた少女は、目を閉じたまま、メルキオールの側までふらふらと小走りに移動する。 固唾を呑んでそれを見守るグラールの反対側にある扉を指差した。 ぎい、と重い音を響かせて扉が開く。その向こうには、教会の子供達よりも尚幼いような、赤い髪の娘が一人で立っていた。 「エマ……?」 グラールが、様々な感情の入り混じった声を上げる。 エマと呼ばれた少女は、目を閉じたまま、メルキオールの側までふらふらと小走りに移動する。 固唾を呑んでそれを見守るグラールに、バルタザールは言った。 「グラール。聖筆は既に我々の手にあります。――ですが実のところ、エマさんを目覚めさせることは不可能なのです。彼女は死んでいます」 さらりと言った老紳士に続き、メルキオールが補足する。 「エマちゃんは、助かりませんでした。本物の彼女は霊子の霧になって、今もルーメンの村に広がっています。ですから、こっちのエマちゃんは原子単位で形だけを似せた、単なる肉人形に過ぎません」 彼がエマを指差すと、少女は微笑のように見える表情を形作った。 それから、少女とメルキオールは手を繋いでグラールに向かって歩き出す。 「こんなことで慰めになるかどうか解りませんが、最後に元気な感じを出してみます」 メルキオールが言うと、エマの身体は少年の手をほどき、グラールを目指して駆け出した。 寝たきりだったはずの少女は冗談みたいな軽いステップでグラールの許まで辿り着き、彼の前でくるくると回って見せる。 グラールは沈痛に顔を歪めて大きく口を開けたが、そこに言葉は無く、ただうめき声が漏れただけだった。 バルタザールは言った。 「申し訳ありません。我々はそれを、貴方の生きる糧になればと思って用意したのですがね」 「もう良いですか?」 メルキオールが再びエマを指差した。少女の形がぐにゃりと歪み、衣服がぽとりと落ちる。 エマの身体は、そのまま肌色のゼリーになって床に広がった。 グラールが、がくりと床に膝を落とす。彼の目は開かれていたが、そこにはもう何も映っていなかった。 「もはや俺が生きる意味はない」 グラールは吐き捨てるように言った。 「殺してくれ」 メルキオールは満面の笑みを浮かべて答える。 「はい、喜んで」 *** マルハレータとグラールを吸収したメルキオールが、すたすたとバルタザールの許へ戻る。 老紳士は少年を見て満足げに頷いた。 「この生体濃縮を経て、間もなく彼の内包するエネルギーは聖杯に届くはずです。ではリーシェ、そろそろ貴方にも働いてもらいましょうか」 「……解せんな」 リーシェは眉をひそめてメルキオールを見た。 「そのメルキオールもどきの力は、かなり危険な水準に達しようとしている。何故お前は、そんなにのうのうとして居られる? 何故そいつは、お前に協力する?」 「ああ。彼との取引材料は、結界からの“解放”です。彼はアウターズを探し出し、メルキオールの肉体に必要なだけのエネルギーを集積する。引き換えに、私は彼を結界から解放する」 言って、バルタザールは冷たい目で微笑んだ。 「――ですがもちろん、約束を守るつもりはありませんので、ご心配なく」 *** 薄闇の中でシャルエーゼは目覚めた。 小さな部屋の中には、ラダナン・カダランの各部状況を示す無数の水晶と、操作盤がある。 ――ではシャルエーゼさん、お願いします。 バルタザールの命令が脳裏に直接響く。 シャルエーゼは生気のない顔で、最後の同調操作を行った。 ぶうん、と羽音にも似た微かな震動がラダナン・カダラン全体に広がった。 エメト山を観測する。これで、自分の役割は、全部終わり。 *** 「えー。どういうことですか。酷いなあ」 メルキオールは心底がっかりしたように眉を寄せる。「貴方は私を利用していたつもりでしょうが、それもここまでにしましょう。偽者のメルキオールは、もう必要ありません。……お別れです」 バルタザールの言葉が終わらない内に、少年の眼は焦点を失い、ぱたりとその場に崩れ落ちた。 老紳士はそれを見下ろして言う。 「今、彼のアウターズたる本質は失われた。そしてこの肉体は既に、真の“聖杯”に近いエネルギーを保持するに至っています」 「……何をした?」 「ラダナン・カダランの霊子線で、永久氷壁の結界内を“観測”しただけですよ」 ああ、と小さく声を上げたリーシェに、バルタザールは更に補足した。 「ラダナン・カダランから射出された霊子線は、一度大気圏外に抜けたあと磁場操作により湾曲され、0.23秒後に上空から目標地点に到達します。もし霊子線を見ることが可能なら、今頃ベルケンダール近郊から空に伸びる光とエメト山に降り注ぐ光、二本の光の柱が地上に見えていたことでしょう。残念ながら、肉眼ではそれを確認できませんがね」 「なるほど。オーロラぐらいは出たかもな」 「さあリーシェ。我々の“メルキオール”を復元して下さい。……おっと。繊細な操作になりますから、邪魔は止めて下さいよ」 バルタザールは薄く笑って宣告した。 「全員、脚を禁ずる」 小さな悲鳴と共に、マリーとハリエットがその場に崩れ落ちる。 ○○の脚の感覚も一瞬消えかけた。だが――。 (痛っ) ベルン大聖堂の時と同じだった。頭の中で何かが弾けるような抵抗があり、何事もなく足の感覚が戻る。 「……またですね。何故、貴方は……」 バルタザールは不思議そうに言ってリポジトリを服に仕舞うと、蛇のような炎の渦をその身にまとった。 沈む天秤 アーネムの天秤(とても強そう) 戦闘省略 *** 「おっと。あまり強くしてはいけませんね」 バルタザールの放った炎が、まるで生き物のように広間を縦横に走り抜け、消えていく。 「大切なリポジトリや“メルキオール”の身体に影響があっては――」 言いかけて、バルタザールの表情が凍りついた。主を失い、倒れていたはずの少年の身体が消えている。 ○○は思わず叫びそうになった。 老紳士の背後から、宙に浮かんだ黒髪の少年が両手を伸ばしている。 弾かれたような勢いでバルタザールが振り返る。 メルキオールの両手が彼に触れるのと、とてつもない量の金色の炎が二人を包み込むのと、それが同時だった。 *** 火傷するほどの熱風と煤が広間に荒れ狂い、視界が奪われる。 黒煙がわずかに薄らいだ時、黒く融解した床の上には、左肩から胸近くまでを抉り取られたバルタザールが立っていた。 「……どういうことだ」 バルタザールが、半ば千切れかけた左腕に右手を添える。血液は一滴たりとも流れていなかった。 『答えよう』 尚も黒煙渦巻く広間に、不思議な声が響いた。メルキオールの声だ――直感的にそう思ったが、少し違っている。 確かにあの少年の声のようでもあるが、同時に老人の声でもあり、男でもあり、女でもある。複数の音が同時に奏でられたかのような、奇妙な響きの声だった。 声は続けて言った。 『君が私の霊子状態を破壊することは、予測していた』 「何……」 バルタザールが声の主を見上げる。 広間を満たす煙が晴れた時、そこにあったのは全身を青白い光に包まれ、宙に浮いたメルキオールの姿だった。 『故に、私はそうなる前に適切なアウターズを見つけ出し、私の“個”たる霊子状態を移すことを考えていた。だが、それは思いのほか困難でね』 少年の顔は端正な表情のまま人形のように凍り付き、口を動かすことすらしていない。だが、喋っているのは間違いなく彼だった。 『精神を入れ替えるまでは容易い。だが、異種の生命は下等生物でも存外に“複雑すぎた”』 言って、少年は○○に目をやった。 ――複雑すぎる。 初めて彼に出会ったあの時、確かに少年はそう言った。そして、○○は自分が何をされたのかを知った。 『成熟した精神を維持したまま別種の生命活動を統制することの難しさから、私は次善の手を選択した。“器”となる生物の霊子状態は可能な限り破壊せず、私自身は“個”が維持できる最小単位にまで削減し、一つの生体の上に“共存”させる。生物はそれと知らぬまま自分自身の生命を維持することで、同時に私の本質を守り続けてくれる』 「馬鹿げている。仮に器たりうるアウターズが見つかったとしても、自分自身に対してそんな高度な霊子誘導ができるものか」 バルタザールは声を荒げた。メルキオールは粛々と説明を続ける。 『お蔭で私の活動には随分と制限が加わることになったよ。器がこの世界から遠ざかると、少年の擬似人格まで“眠り”についてしまうのは思わぬ副作用だった。これは大きな賭けでもあったのだね』 バルタザールははっとして○○を見た。 「……そうか。お前の器とは」 『御明察』 バルタザールの言葉に、少年は微かに笑ったように見えた。 「成る程……。私の禁が通じなかったのは、アウターズの概念が含まれていたせいか。……確かにこれは賭けでしょうな。貴方のような存在が、賭けなどという概念を持っていたとは驚きですよ」 『君達からは様々なことを学ばせてもらった。そして、この賭けに価値があったことは、今君が実感している通りだ』 メルキオールは涼しい顔で言い放つ。 バルタザールは顔を歪め、悪意のあらわな微笑を口元に浮かべた。 「よろしい。ならばその器、消し去ってくれよう」 バルタザールが○○に向かって右腕を突き出した。 その掌の中に、極小の炎の球が生み出される。瞬く間に火球はその熱量を高めて白く輝き、放射される猛烈な熱と光が、バルタザールの黒い礼服さえも真っ白に染め上げた。 「ナイオンもろとも蒸発するが良い!」 光球が、○○に向かって打ち出される。瞬間、広間の大気全体が大きく波打った。 射線上の床が沸騰し、直視できない程の光量で視界が白熱に染まる。 同時に、焦熱に渦巻く擬似円環の中で、メルキオールの冷徹な声が響き渡った。 『――バルタザール、炎を禁ずる』 バルタザールは目を見開いた。 広間を満たした熱が一瞬にして退き、光球は熱変化の爪痕だけを残して完全に消え失せる。 『天秤の権限は、頂いた』 メルキオールが、立ち尽くしたバルタザールのすぐ横に降り立つ。 老紳士は愕然としたまま、それを振り返った。 少年が身体全体で老紳士を捕食する。 三度瞬くだけの時間でバルタザールの肉体は一片残らずメルキオールに取り込まれ、消えて無くなった。 少年がゆっくりと○○を振り返る。 全身に張り付いたバルタザールの残滓が、皮膚や衣服から直接吸収され、一点の染みすら残さず消え去った。 『では“私”を返してもらうよ、○○。そうしたら、君達を私の寝所に案内しよう』 青白い光に包まれた少年の身体が、歩いて○○に近づいてくる。 それが判っていながら、指先ひとつ動かすことが出来なかった。 少年の伸ばした指が、○○の額に触れる。 不快感は無く、むしろ心地よい不思議な安堵感に身体が包まれた。 あの時と同じだ。初めてこの『サヴァンの庭』に降りた、あの時。 目蓋が酷く重くなり、抵抗しようという発想さえ思い浮かばないままに、瞳を閉じる。 『君は良くやってくれた。あの時君を選んだのは賭けだったが、君でなければ、私の計画は成し得なかっただろう』 意識が持続できない。 柔らかな暗闇の中で、○○は少年の発する言葉をかすかに聞いた。 『そして――ようやく、また会えた。私自身と』 ─See you Next phase─ |
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