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しあわせの理由

聖賢の座ナイオン 永久氷壁

 すでに陽の落ちたエメト山で、アウターズとしてのメルキオールは緩やかに崩壊しながら、暗い穴の底へと消えて行った。

 少年の身体は先程までの青白い輝きを完全に失い、氷の上で力なく横臥している。

 ○○達もまた、己の手に余る絶大な力を振るった反動で、今や立つことも満足に出来なくなっていた。



「死んではいないか……」

 リーシェは少年の許へと歩み寄り、その姿を見下ろして言った。

 吐息が、風の凪いだ氷原に白く浮かぶ。彼女の顔には、珍しく濃い疲れの色が浮かんでいた。

『今度は、眠らせてもらえそうには無いね』

 メルキオールは微かに首を動かして、倒れたままでリーシェを見上げた。

『残念だよ。しかし私は間違いなく全力だったし、君達は、強かった。私の敗因は、己への過信だったと言えるだろう』

「……天秤の禁令は使わなかったな?」

 問われて、少年はゆっくりと身体を起こし、座ったまま小さく頷いた。

『先刻のやりとりで、君はもう、あれの防ぎ方を理解していたはずだ』

「こっそり織り込んではいたが、正直自信は無かった」
 リーシェがそっけなく言って、メルキオールは少しだけ笑顔をつくった。

『試してみるべきだったかな? しかし君達は一瞬の隙さえ見せられない程の強さだったし――なにより禁令というものは、いささか品性を欠いている』

 メルキオールの言葉に、リーシェは一瞬声を失った。

『……私が天秤でいられる時間も、残りわずかだ。お別れだね』

 彼はなんでもないような調子で言う。

 氷の上に足を投げ出した少年の姿を、リーシェは迷いのある顔で見下ろした。
「……なんでかな。アタシはお前を殺すのに、あまり乗り気じゃないようだ」

『この外見と言葉のせいだろう。だが、言語や概念を学んでみたところで、結局のところ本当の意味で心を通わせることなど、出来はしない。君達にとって“外”が無意味な暗黒の空間でしかないように、私にとってこの世界の価値は、判らない。私は生きている限り外に出ようとするし、君達は世界を守りたい。――そして、私は君達に敗れた』

 淡々と語ったメルキオールに、リーシェは肯定も否定も返さなかった。

 少年はそんなリーシェから視線を逸らし、落ち着いた調子で言う。

『……君達が、世界を守るために“敵”の命を絶つのは、正しい選択だ。そして、他に答えは、存在しない』

 少年が静かにその眼を閉じる。

 氷原に静寂が訪れた。○○も、ハリエットもマリーも、一言も発することなく、彼とリーシェを見守っていた。

「――いいや、別解もあるね」

 迷った末に、リーシェはそう言い切った。メルキオールが驚きに小さく眼を見開く。

「アウターズの肉体を捨て去れ、メルキオール。そうすれば、アタシの力でお前を“迷い人”として改竄できる。お前の本質たる霊子状態を、本当の意味でその少年の身体に宿す……アタシなら、それが可能だ」
 それは――と言ってから、少年は眼を伏せた。

『……難しい選択だね』

「結果としてお前にどれほど大きな影響が出るのかは、正直なところ予想がつかない。その身体の原型は聖杯だが、人間とそう違うものじゃない。お前が当然のように持っている感覚の大部分は、おそらく失われてしまうだろう。外の世界とやらの意味や価値までも、違ってくるだろう。ただ……それでも尚、お前がお前自身であることには、変わりは無いはずだ」

 そして、リーシェは真っ直ぐにメルキオールを見て問いを発する。

「選べ。ここで永遠に眠るか、それとも“迷い人”として外に出るかを」

 メルキオールは少しの間、真意を探るようにリーシェを見つめ返す。

 それから彼は静かに立ち上がり、夜空を見上げてただ沈黙した。

 エメト山の空気は痛いほどに冷たく澄みわたっていて、降って来るような満天の星空は、人の目にも驚くほど美しかった。

 あるいはアウターズたるメルキオールの目には、もっと違った光景が――より美しい何かが、そこに見えているのだろうか?

 彼は身じろぎもせず、そのまま星空を見つめていた。

 まるで、最後にその光景を目に焼き付けようとしているかのように。

 長い沈黙だった。
やがてメルキオールは整った唇を動かし、かつてのような少年の声で、リーシェに告げた。



「――外へ行きたい」

 少年の吐息の白さが、氷原の空に寒々しく浮かんで消える。

 そのまま彼はリーシェを顧みることもなく、無表情で夜空を見つめ続けていた。

「解った」

 リーシェは頷いた。

 そして、メルキオールはこの世界から消えた。
(……終わった)

 少年が姿を消して、○○は、張り詰めていた気がすっかり抜け切るのを感じた。

 ひっそりと静まり返った永久氷壁で、リーシェが立ったまま眼を閉じる。

「疲れた……」

 言って彼女は大きく息を吐くと、その場にへたり込んでしまった。本当に疲れているようだった。

 ハリエットはリーシェの許に駆け寄ろうとしたようだが、身体がついて行かなかった。

 少し歩いては停まり、そしてまた歩き、息を切れ切れにしながらそれを繰り返して、ようやくリーシェの許まで辿り着く。



「……大丈夫ですか?」

 心配そうに見下ろしたハリエットに、リーシェは半眼で答えた。

「お前に心配されるほどヤワじゃないよ」

 良かった、とハリエットは笑う。

「でも、ご主人様を心配するのは、奴隷の仕事ですから」

 そう言ったハリエットに、ああ、とリーシェは曖昧な声を返した。

「それはもう、終わりにしようか」

 え、とハリエットは首を傾げる。

「お前はちゃんと強くなったし、お代の方はもう、充分に頂いた。帰ったら、例のノートは返すよ。そうしたら、さよならだ」

「自由ってことですか?」
 ハリエットは目をぱちくりさせる。

 そうだよ、とリーシェは面倒くさそうに言った。

「……じゃ、さよならの後でまたリーシェ様の家に遊びに行くのも、私の勝手ですよね?」

 ハリエットは彼女を見下ろして悪戯っぽく笑った。リーシェもなんだか決まり悪そうに笑う。

「なんだよもう。勝手にしろよ」

 彼女の言葉に、ハリエットはまた笑った。

「あ……でも、ここに来る前に新しい奴隷候補を見つけたんだよな。しかも二人セットで。……あれ? もう一人誰かいるな」

 リーシェはどこか麓の方角に目を向けて妙なことを言う。

 あ、とマリーが声を上げた。彼女は同じく麓の方角を見て、その空を指差していた。

「見て下さい! ナイオンが……」
 月明かりに照らされたナイオンの後部甲板で、ユベールは目を覚ました。

 夜気が凍えるように冷たい。長い間気を失っていたようだ。

 身体を起こすと、すぐ近くに双子の少女が倒れているのが見えた。

 鈍痛のあるこめかみに指先を当て、ユベールは混乱した記憶の糸を解きほぐそうとした。

 ――何故、俺はまだ生きている?

 バルタザールとの戦いで、彼は敗れたはずだった。

 あの老紳士が酷く手加減をしていたことは、彼にもはっきりと判っていた。だが、それでも尚、彼我の実力には埋めようが無いほどの開きがあった。

 薄れゆく意識の中でユベールが最後に見たのは、背中を向けて立ち去る老紳士の姿と、“捕食”のために一人残ったメルキオールの姿だった……はずだ。

 それなのに何故、まだ生きているのだろう。

 少なくとも、あの少年の姿をした何者かが“食事”をしなかったのは確実だ。

 ――口に合わなかったのかな。

 自分の思いつきに、そんなことがあるのだろうかと首をひねる。

 あるいは、双子とそこそこ仲が良かったせいだろうか? こちらの方がまだ納得がいくような気はした。あの少年に人並みの感情があるとすれば、だが。
 ジュリエッタとジュリアンヌの方を見ると、彼女達が微かに寝息を立てているのが判った。

 見たところ既に外傷も殆ど残っていない。意識を失っている、というより、ただ眠っているように見えた。

 釈然としないまま物思いにふけっているうち、ユベールはふと異状に気が付いた。

 平時は揺れることなど全く無かったナイオンが、僅かに揺れている――ような気がした。

 エメト山の方向に眼を向ける。夜空を切り取った黒い稜線が、ほんの少しずつ上方に動いていた。

 ――これ、落ちてるな。

 ユベールはそう結論づけた。

「おい、起きろ。墜落してるぞこれ」

 傍らに倒れた少女の肩に手をかけ、激しくゆする。だが、起きる気配は全くない。

 平手でぺちぺち、ぺちぺち、と二人の少女の頬を交互に軽く叩いてみる。ううん、と小さく唸り声が上がった。

「寝てる場合じゃ――」

 ユベールは更に強く少女を揺り起こそうとして、その手を止めた。

 ジュリエッタが眠ったまま身じろぎして、ぽつりと口の中で何かを言った。

 何と言ったのかは良く判らなかった。ただ、誰かを呼んだ、そんな気がした。

 少女達は寝入ったままで軽く眉を寄せ、哀調を帯びた声を微かに漏らす。
 ……何か、悲しいことを思い出しているのだろうか。

 再び並んで寝息を立て始めた二人に、とりあえず上着だけを掛け、ユベールは立ち上がった。

 悲しい夢なら尚更起こした方が良いのか――とも思ったが、何となく彼はもう少し時間を置くことにして、ぶらりとその辺を散歩することに決める。

 夜の庭園や甲板には、見るべきものなど全く無かった。だが、どうせ、急いで脱出したところで行く宛もないのだ。

 バルタザール達がどうなったのか知らないが、どの道、彼らと行動を共にすることはもう、ありえない。

 ではどうする?

 ユベールも双子も、ベルン公国で普通に暮らすのは、もう無理だろう。あれだけのことをやったのだから、きっとすぐに追われる身だ。

 双子の考えは判らないが、当面は逃亡生活を強いられる。自業自得だが。

 ――まあいいか。

 真っ暗な庭園を歩きながら、彼は思った。

 独りじゃなければ、それも悪くない。
   ***

 マノットは、見知らぬ場所で眼を開けた。

 仰向けに横たわった彼の頭上には、黒々と葉を生い茂らせた樹の枝が見える。隙間から覗く夜空には雲ひとつ無く、白い星が点々と輝いていた。

 付近に人の気配は無い。どこかの町外れか。ゼネラルロッツ? だが、そんなことより……。

 ――生きている。

 それこそ驚愕すべきことだった。

 彼は双子の少女を前にして、ほとんど“即死”に近い傷を負った――はずだった。

 あの状態から助かるなど、とても考えられない。そんな芸当が可能な人間がいるとしたら、おそらく、一人だけだろう。

 マノットは頭上の枝模様を見ながら、彼女のことを考えた。

 ――まさか、俺なんかを助けてくれたんですか、先生……?

 なんとなく額に手を当てようとして、マノットは全身を貫く激痛に絶叫した。したつもりだった。

 だが、実際にはくぐもった音と共に息が漏れただけで、顔を引きつらせるのが精一杯だった。

 彼は脂汗を浮かべて全身を弛緩させ、動くのを諦めて眼を閉じた。

 確かに自分は生きている。それは間違いないのだが――。

 ――ちゃんと治ってねぇ……。
   ***

 降り積もった雪の中。

 ○○達は永久氷壁を離れ、フレビス山脈を歩いて麓へと向かっていた。

 吐息が白い。星明かりだけが頼りの山道は、暗くて陰気だった。

 ほとんど生き物の気配も無く、ただざくざくと雪を踏みしめる音が響く。

 今まで瞬間移動のような芸当を散々見てきたというのに、最後がこれとは――そんな思いと共に、○○は後ろを振り返った。

 最後尾には、ハリエットに肩を借りたリーシェの姿があった。

 彼女は歩くことさえままならないらしく、ぐったりと体重をハリエットに預けて、ひたすら足元を見ながら歩いている。

 猫に頼ればなんとかなるのではないか、と思ったが、彼女がこの状態ではそれも駄目らしい。

「あー……はらへった……」

 リーシェは視線を落としたままでそう言った。マリーが振り返り、少しペースを落とした。

「聖筆って言っても、何でも出来るわけじゃないんですね……。食事とか出せないんですか?」

 あのねー、とリーシェは疲れ果てた顔を上げて、少し笑った。

「アタシが食事を出して自分で食べて、それで回復になるはずないだろ。永久機関が誕生するぞ」


 そういうものですか、とマリーはそっけなく言った。

 このぐらい口が利ければ大丈夫だという判断かも知れない。

「でも……聖杯も、天秤も、無くなっちゃったんですよね」

 マリーは話しながら、再びゆっくりと歩き出した。

 そーだね、とリーシェが適当に相槌を打つ。

「アーネム様が、また生み出してくれるんでしょうか」

 言ってマリーがちらりとリーシェの方を振り返る。彼女は下を向いたまま、ぽつりと吐き捨てた。

「……そいつはもう居ない」

 え? とマリーが立ち止まった。

 リーシェもまた少し立ち止まって、溜息をついた。

「気にするな。……とにかく疲れた」
   ***

 それから、再び沈黙の雪中行軍が始まった。

 エメト山付近には修道院があるはずだったが、どうやら知らない内にその付近は通り過ぎてしまったらしい。

 ○○は疲れた身体に鞭うって、足元を見ながら淡々と、ひたすらに歩を進めていた。

「あ、見えてきました!」

 声に顔を上げると、先頭を行くマリーが道の先を指さしていた。

 寒空の下に白く浮かんだ雪道の、ずっと先に、オレンジ色の暖かい町の光がほんのりと見えていた。

 マリーは一行を振り返って言う。

「エメト山から見た星も綺麗でしたけど……やっぱり私は、こっちの灯りの方が温かみがあって良いですね」

「星じゃ、お腹が膨れないからなぁ」

 リーシェが言って、皆少し笑った。

「帰りましょう」

 ぼんやりとした町の灯りを背に、マリーは微笑んだ。

     ***

 ゼネラルロッツへと続く雪道を歩きながら、ハリエットは道すがらリーシェに聞いた言葉を思い返していた。

 ――どんな世界を創っても、苦しみが無くなることはない。

 彼女はこうも言った。

 ――お前は強くなった。それでもやっぱり、苦しみが消えるわけじゃない。

 リーシェはいつになく弱りきっていたが、いつもと変わらぬ傲然とした態度で、色々なことをハリエットに言っていた。

 本当に辛いのはこれからなんだ、って。

 本当に立ち直るためには、時間が必要なんだ、って。

 多分、それは正しいのだろうと、ハリエットは思う。

 けれど、そのための第一歩を、私は私なりに踏み出すことができた。そう、信じたい。

 先のことは判らないけど、今はもう少し、このまま歩き続けてみようと思う。

 いつか、私の中のピーテルが笑ってくれる、その日まで。
   ***

 お姉ちゃんへ。

 ここから先のページは勝手に読まないこと。

 もし黙って読んだら、絶対に許さないぞ。わかったな!

     ***

 お姉ちゃんは多分、盗みを働いてる。

 正直、やめて欲しい。
 でも今はまだ言えない。

 なぜなら、それが僕の入院費のためだと解っているからだ。

 お姉ちゃんは頭がお花畑だから、罪の意識というものがちょっと薄い。

 でもそんな明るい姿に元気をもらうことがあるのも、本当だ。

 だからこそ、手は汚して欲しくない。

 特に、僕なんかのためには。

 はやく元気になりたい。

 そして、馬鹿なことはもうやめろと言ってやりたい。

 いつか必ず。

 この気持ちを絶対に忘れないために、ここにしたためておく。

 ところで、お姉ちゃん。

 もしこれを勝手に読んだなら、今すぐ爆発して下さい。

     ***

 今日、お姉ちゃんがとんでもないことを言い出した。

 サナトリウムで地道に働くんだって。しかも雑用で。

 どこまで本気なのかは判らない。

 でも、泥棒よりはずっとマシだ。応援しようと思う。

 ただ、本当は看護師になりたかったのに、妥協してるのは見え見えだった。

 適当に言いつくろってたけど、お姉ちゃん観察の第一人者である僕の眼はごまかせないぞ。

 真面目に勉強すれば何とかなると思うんだけど、やっぱりネックになるのは、僕のことだ。

 ところで、お姉ちゃん。

 もしこれを勝手に読んだなら、今すぐ勉強を始めて下さい。そしたら僕も本気出す。

 ナースになったお姉ちゃんを見て大笑いできる日が来るのを、今から楽しみにしてるよ。

 だからお姉ちゃん、良い看護師になって下さい。

─End of Scene─








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