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聖賢の座 |
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教会の前を過ぎ、ゼネラルロッツ郊外へと向かう。 ○○が目指す先にあるのは、“甘露の門”。 双子の少女の手で作り出されたその歪みは、エメト山上空に出現した船へと繋がる、現在唯一の道だった。 門の開いた場所へと早足で歩いていると、後ろから○○を追って来る人影があることに気が付いた。 「私も行きます!」 黒いロングスカートを両手でつまんで走ってきたのは、シスター・マリーだった。もっとも、これは大体予想していたことだ。 立ち止まった○○に追いついてから、彼女は言った。 「ハリエットさんを連れ戻すよう、神父様に言われています。それに、あそこで何が起こっているのか、私達は確認する必要があります」 マリーは雪を抱いたフレビス山脈を見上げた。 問題の船は、出現したその時から変わらずそこに浮いていた。 「気になるのは、あの子たちが言っていたことですけど――」 マリーは口ごもる。確かに、それは気になるところだった。 ジュリエッタとジュリアンヌは、あの時の口ぶりからすると、他の誰かに頼まれて○○を呼びに来たようだった。 しかし、誰が、何のために呼んでいるのかを結局聞きそびれたままだ。 「でも、罠だったとしても、○○さんなら平気ですよね」 マリーはにっこり笑った。そんなので良いのか。まあ良いのだろう。 遠く離れた教会の方から、別の女性の声がする。 「先輩、お気をつけてー」 扉の破壊された入口で、シスター・コゼットがこちらを向いて寂しげにハンカチを振っていた。 マリーはコゼットに軽く手を振って応えてから、こちらに向き直る。 「それでは、行きましょう」 そして、マリーと○○は“甘露の門”に足を踏み入れた。 *** 暗闇が辺りを覆っていた。 門を外から見た時と、実際に中に入った時とではまるで景色が違う。周囲は純然たる黒色だった。 しかし、“この手の感覚”にはもう、○○は慣れている。 光が見える。それが門の出口だということは、考えるまでもなく既に理解していた。 *** 軽い立ちくらみと共に、○○は自分の足が地に着くのを感じた。 小さく息を吸った途端、空気が冷たく、薄いことを認識する。 (ここは……) 静かに目を開けた○○の前にあったのは、広大な庭園だった。 水と緑に彩られた庭は真っ直ぐ奥へと続いており、遠くに連なる梢の向こうには、大きな城が見えている。 低く垂れ込めた雲から射す光はあまりにか細く、灰色の城壁は一層重く沈んで見えた。おそらく、あれがこの“船”の中心なのだろう。 庭は丁度志貴の立つ位置で途切れており、背後の方向には船尾にあたるであろう、殺風景な石畳が続いていた。 庭園側にも船尾側にも、様々な形状をした巨石が幾つも転がっている。しかし、それがデザインなのか自然石なのかは判然としない。 庭の造りや城の外観など、個々の部分には馴染みがなかった。だが、それでも全体としてはどこか既視感がある。 地上から見た時にも感じていたことだが、この船の構造は、エルアークによく似ているのだ。 「うーん……」 志貴の脇では、少し遅れて現れたマリーが頭痛を訴えるような仕草を見せていた。 「あ……いけない。志貴さん、気をつけて下さい」 マリーに言われて、志貴は近付いていた昆虫の姿に気が付いた。まずは小手調べ、といったところだ。 トンボを片付けた志貴は、いつの間にか背後の方向に、新たな気配が増えていることに気が付いた。 振り返ると、船尾方向の石畳の上には、双子の少女がこちらに背を向けて仲良くしゃがみこんでいた。 その向かいでは、一匹のまるまるとした黄色い犬のような生物が、盛んに何かを食べている。 志貴の視線に気付くと、双子はしゃがんだまま、首だけでこちらを振り返った。 「いらっしゃーい」 ジュリエッタはそれだけ言って、再び生物の方を向いた。 黄色い生物が顔を上げ、志貴の方に鼻先を向ける。犬にしては少し大きすぎるその生物の頭部には、目が無かった。 *** ラダナン・カダランを後にしたバルタザールとマルハレータは、今、雪の舞う氷原に立っていた。 強い風に無数の雪片を吹きつけられ、マルハレータは鬱陶しそうに顔をしかめる。その雪風が前方で不自然にくっきりと途切れていることに、彼女は気が付いた。 「……結界かしら?」 「その通りです」 バルタザールが頷く。 マルハレータは直接的には視認できないその結界を、飛び交う雪の中に切り取られた姿として確認した。 「変わった形をしているわ」 彼女は結界を見上げて言った。 はっきりとは判らないが、それは複数の五角形と六角形を組み合わせた多面体のように見えた。 「“切頂二十面体”と言うそうです。立体構造を工夫することで、同じ力で作られた結界でもより効率的に運用できる――術者の性格を表していますな」 「術者?」 その言い方に引っ掛かりを感じて、マルハレータは老紳士を振り返った。 「貴方が作ったのではないの?」 「私ではありません。これは“アーネムの聖筆”で作り出された結界です。外から破ることは不可能ではありませんが、止めた方がよろしい」 「中には何が?」 マルハレータは結界の中を見た。 地表部分には、何も無い。氷は透明度こそ高いものの、下は暗く闇に沈んでいて見通すことが出来なかった。 「古いアウターズ、と申し上げておきましょうか」 「あら。アウターズなら、食物連鎖で言うとわたくし達の下でしょう?」 マルハレータがほくそ笑む。 「その通りです」 バルタザールも笑って頷いた。 「ですが――何事にも、例外はあるものですよ」 *** マノットは、得られたばかりの情報を手土産に、リーシェの家にあがりこんでいた。 “ナイオン”と“甘露の門”について、ゼネラルロッツからの情報をかいつまんで彼女に報告する。 「……で、なんか人手が足りないってんで、俺まで召集されました」 「あそう。じゃ適当に行って適当に頑張れ。まぁ、お前が死んでも、アタシはあんまり悲しくないけどね」 リーシェは座ったまま、いつものように愛想なく答えた。 「ひどすぎる。ま、適当に行ってきます」 マノットはやるせない調子で言って、踵を返した。リーシェはその背中に声を掛ける。 「念のために言っとくが、アタシの助力を期待しているなら諦めろ。お前が殺されそうになっても、アタシは本当に助けないよ」 「解ってますって。俺が命懸けるほど使命感持ってるわけないでしょう。やばそうだったらすぐ逃げるから心配要りませんよ」 「心配は全くしてない。誤解するな。自己責任で行ってこい」 へいへい、と言い残して、マノットは家を出た。 一人残されたリーシェは深く溜息を落とし、机に頬杖をついて窓の外を見る。外には森の木々が見えるだけだった。 ナイオンが出現したというエメト山を、ここから直接肉眼で見ることは出来ない。 ただし、位置さえ判っていれば、船の内部ですら“見る”手段はある。 「ナイオンね……。聖杯も無いのに、何をするつもりだ?」 ぼんやりと窓を見るリーシェの帽子から、黒猫が机に降りて、短く鳴いた。 リーシェは横目でそれを見ながら、空いたほうの手で耳の後ろを撫でてやる。黒猫は目を細めて喉を鳴らした。 「アタシに見せたい……ってことかな」 リーシェは頬杖のまま窓に映る景色を見て、つまらなそうに呟いた。 *** 志貴は双子に餌付けされている生物を見て、その名を思い出した。 (ミケランジェロ……?) それは明らかに、ボーレンスの貴族ルブター・デルシャールの屋敷で飼育されていた生物だった。 まさかこんな場所で元気にしているとは思わなかったが、それが判ったところで何も嬉しくはない。 志貴の視線に気付いたのか、ミケランジェロは「ばう」とも「がう」ともつかない声で二度吠えると、たたっ、たたっ、と足音を立てて走り去って行った。 「あれー。バウガウどこ行くのー」 ジュリエッタが立ち上がった。どうやら奴の名前は“バウガウ”に変わったらしい。 ミケランジェロ改めバウガウは、何故か船尾甲板に開いている大きな穴の中に向けて、ぴょんと飛び込んだ。 「行ってしまいましたわ」 ジュリアンヌも立ち上がる。マリーは言った。 「貴女達、あまり変な生物を愛玩するものではないわ」 「いーじゃん。ほんとは食べる予定だったんだし。それよりさっさと城に向かったら?」 ジュリエッタはぷいとそっぽを向いた。ジュリアンヌが更に説明する。 「ハリエットさんは多分“擬似円環”にいますわ。あちらが正しい玄関みたいなものですし」 (擬似円環?) その名称から、志貴にはすぐに思い当たるものがあった。 この船で“円環”と名が付くからには、エルアークの円環の広間に相当する場所ではないだろうか? だとすれば、位置関係や道順は大体想像がつく。 「じゃ、私達はここらへんで門番してるからね。あんたたちは通してあげたけど、他の人は通さないよ」 笑うジュリエッタに、マリーは背を向けた。 「……あの子達は放っておきましょう。今のところ、私達と戦うような意思はなさそうですし」 志貴もそれには賛成だった。とりあえず双子は放置して、擬似円環とやらを目指すとしよう。 エルアークと似た構造だとすれば、それは多分、城の地下かその近辺に存在しているであろうことが予想できる。 ならば、まずはこのまま庭園を突っ切って城に向かえば良いだろう。 だが、選べる道はそれだけではない。志貴は船尾甲板を振り返って確認した。 石畳の張られた船尾部分には、理由は良く判らないが、大きな穴が口を開けていた。 バウガウがそこに飛び込んだことからも、下に別の空間があることは明白だ。 真っ直ぐ庭園を抜けるのが妥当な選択だとは思うが、擬似円環が地下にあることを考えると、下におりてみるのもそう悪くは無いかも知れない。 ─End of Scene─ |
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