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聖筆、その力 |
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氷の貴婦人(とても強そう) 戦闘省略 *** ハリエットは、倒れたマルハレータの前に立った。 背後でシスターが制止の言葉らしきものを発する。 だが、迷いは無かった。もしあるとすれば、それは生かすか殺すかの選択ではなく、 “如何にして殺すか”、その方法だ。 ――どうする? この女の頭をつぶすか。それともピーテルと同じように、胸に穴を開けてやるか。 ――そんなの、どっちでもいい。 そこに違いは無かった。 ハリエットは殺し方を決めると、ゼノンの腕が最大の力を発揮できる“左手”で拳を作り、 それをマルハレータに向かって振り下ろした。 「よせ」 突然の声と共に、ぱん、という乾いた音が広間に響いた。 全力で振り下ろしたハリエットの拳は、横から差し出された掌で軽く受け止められていた。 ――ゼノンの腕を使っているのに。 「なんで、ここに」 ハリエットの拳を受け止めたのは、五匹の猫を連れた魔女――リーシェだった。 *** 「貴女は……?」 マリーはぽかんとした様子でリーシェを見た。 リーシェはそんな彼女を一瞥だけして、ハリエットに向けて言う。 「なぜここに、と言ったなハリエット。そんなの決まってるだろう? お前の願いを叶えるためさ」 リーシェはいつもの調子で、軽く笑う。 「お前は『強さが欲しい』と願った。アタシはまだ、それを渡し終えてない」 ハリエットは小さくかぶりを振った。 「もう充分です。すぐに、全部終わります」 「いや、まだだ。そのための最後の試練を、今、与える」 それから、倒れたマルハレータを指差して、彼女は言った。 「ハリエット。こいつを赦《ゆる》せ」 その言葉の意味が一瞬理解できず、ハリエットは数度瞬きをした。 「赦す……?」 口に出してから、その顔に険の色が差す。ハリエットは怒気をはらんだ声で、畳み掛けるように言った。 「……殺すなということですか? それで、私にどうしろと言うんですか? 殺すのをやめて、 こいつを赦して――そして私に、弟を殺した人間と、手を取り合って喜べとでも言うんですか!?」 自分で言ったことがあまりにも可笑しくて、ハリエットは声を上げて笑い出した。 ハリエットは歪んだ笑みを浮かべて、更に叫んだ。 「もし出来る奴がいるとしたら――そいつは人間じゃない!!」 「弱者には出来ない。なぜなら、赦すことこそ最大限の強さだからだ」 「そんな強さ、私には要らない。こいつはピーテルを殺した。私はこいつを殺す。それで終わりです」 リーシェは深く息をついた。 「確かに、それで一瞬は幸せになれるだろうな」 「……幸せ!?」 食って掛かろうとするハリエットを、リーシェは醒めた目で見た。 「そうだよ。……お前、自分が“ピーテルのために”復讐してるとでも思ってるのか?」 ハリエットは言い返そうとして、言葉に詰まった。 その通りだ。でも、それのどこが間違っている? 「自覚していないのなら教えてやろう。復讐の目的は常に一つ、“自分が気持ち良くなるため”だ」 突き放すように言ってから、リーシェは柔らかく言い添える。 「ピーテルのためじゃない」 ハリエットは何かを言いかけて、そのまま唇を噛んだ。 ただ、言葉こそ返さなかったが、彼女が納得していないことは傍目にも明らかだった。 「別に、お前を怒らせたいわけじゃないんだ。……悪かった。やっぱり、理屈じゃ届かないのかなぁ」 リーシェは決まり悪そうに頭を掻いた。 その時、彼女達の足元で、白い影が動くのが見えた。 「何を……ごちゃごちゃと、勝手な事を」 マルハレータが意識を取り戻し、床の上で半身を起こしていた。 彼女は頭痛を訴えるように額に指を当て、その下からハリエットとリーシェをにらみつける。 傍観していたマリーが思わず声を上げた。 「そんな……!」 マルハレータの服は数箇所が破れ、肌が露出していた。 だが、そこから覗いている傷口は今、目に見えるほどの速度で塞がりつつあった。 「なんて再生能力なの。人間とは思えない」 「その通りよ、おばかさん」 マルハレータが笑って、ゆらりと立ち上がった。 とん、と軽く地面を蹴って跳躍し、マルハレータは○○達と距離を取る。 「わたくしが人間だったら、きっと殺されていたでしょうね。けれどお生憎さま。 わたくしは既に、人の域を超えているのよ。……いいえ、わたくしだけではない。 七人全員がそう。わたくし達は、ヒトの上に立つアウターズさえも“捕食”可能な、 新たな生命。より強い生命を食べるものは、より高い濃縮により、より大きな力を得る。 ――わたくし達は、言うなら、選ばれし存在なのよ!」 マルハレータが嬉しそうに笑う。その声を遮るように、リーシェは「おい」と声を掛けた。 「――少し黙れ」 言い放って、リーシェは凍るような目でマルハレータを見た。 マルハレータは冷たく笑って、白い傘を掲げる。すぐに戦闘態勢を取ろうとしたハリエットに、リーシェは言った。 「お前はちょっと休んでろ。そこに座ってな」 彼女はハリエットの肩に手を添えて、とん、と軽く押す。 「――え」 ぺたん、とハリエットはあっけなく尻餅をついた。 霊子誘導による能力補正が強制的に解除され、一瞬にしてその瞳も本来の色に戻る。 「少し方針を変えよう。アタシが正しい復讐のやり方というものを手ほどきする」 リーシェがハリエットに微笑む。その背に向けて、マルハレータは閉じた傘を横なぎに振った。 丸太ほどもある氷柱が空中に形成され、リーシェを目掛けて矢のように飛ぶ。 氷柱はリーシェに当たる“寸前”で激しい衝突音と共に砕け散り、 無数の微細な破片となってあたり一面に飛び散った。 「……礼節を知らない女だな」 キラキラと輝きながら落ちていく 細氷の雨の中で、リーシェは変わらずマルハレータに背を向けて立っていた。 いつの間にか彼女の身体は、球を近似した多面体の結界に包まれていた。 「……切頂二十面体……?」 マルハレータは怪訝そうに眉をひそめた。 「お前に猫は使わない」 リーシェが指を鳴らすと、彼女を包む結界が一瞬だけエメラルド色に輝き、消失する。同時に、 彼女の肩と帽子に乗っていた猫達が一斉に床に飛び降りた。 猫達がハリエットの元に駆け寄るのを見届けてから、ようやくリーシェはマルハレータに向き直る。 「後悔するが良い。――アタシの奴隷を傷つけた罪は重い」 *** 高く巻き上げられた冷気の霧が次第に落ち着き、薄い煙になって広間の床を覆っていく。 リーシェは靴音を響かせながら、広間をゆっくりとマルハレータに向かって歩いていた。 「これならどう?」 マルハレータが高く傘を掲げると、リーシェの頭上に無数の氷柱が発生する。 マルハレータが傘を振り下ろすのに合わせ、全ての氷柱が鋭い先端を下にして同時に降り注いだ。 リーシェはつまらなそうにそれを見上げ、突き刺さる寸前に片手を一度振る。 それだけで全ての氷柱を同時に打ち払い、粉々にした。 「復讐には、伝統的な手順と台詞というものがある。いきなり殺すなんてとんでもない。まずそれを教えよう」 リーシェの姿が消えた。 「え?」 唖然とするマルハレータのわずか一歩前に、突然リーシェの姿が現れる。 マルハレータが反応するより早く、リーシェは貴婦人の腹部に拳をめり込ませていた。 冗談のような勢いでマルハレータの身体が後方に吹き飛ばされ、激しく壁に打ち付けられる。 「今のは“シャンタク鳥の分”」 リーシェはハリエットを振り返って、意味ありげに笑った。 「シャンタク……?」 ハリエットが不思議そうに言う。 「あ、お前は知らないのか。こいつらが食った奴のことだよ。 まぁシャンタク鳥なんてどうでも良いんだけど、他に適当な奴が居ないから仕方ない。 説明のためだと割り切ってくれ」 リーシェは壁際でぐったりしているマルハレータの前に屈みこみ、その首根っこを掴んで上体を起こした。 「なんだ、もう死にそうじゃないか。仕方ない――回復してやろう」 リーシェが邪悪に微笑む。途端に、マルハレータの様子が激変した。 口から流れていた血が唐突に消え、青ざめていた顔が一瞬にして桜色に上気する。 「治っただろ?」 リーシェは手を離し、一歩退いてマルハレータを見下ろした。 「……な」 マルハレータは不思議そうに自分の両手を見比べる。 「何……凄いわ……どうなっているの!? 回復ですって!? それ以上だわ!」 「だろう。少しサービスしておいた」 マルハレータは傘を拾って立ち上がると、こらえきれないように笑いだした。 「なんて力なの! 今の私なら、生み出す冷気は絶対零度にも届き得る! 万物を静止させられるわ!」 マルハレータは嬉々として傘を開き、リーシェに悪意ある冷笑を向ける。 「これはほんのお礼よ!」 声と同時に、遠目にも解るほど強い冷気が急激に貴婦人の周囲で巻き起こった。 「その傘は面倒だから無しにしよう」 リーシェが無造作に冷気の中心に手を伸ばした。 彼女はそのまま傘の柄を掴むと、熱した飴のように片手でそれをねじ切った。 「ばっ……」 貴婦人は目を丸くして、己の手の中に残された傘の残骸を見る。 「馬鹿な!! わたくしのマザー・オヴ・ティアーズを素手で!?」 周囲で渦巻く冷気は四散し、薄もやと化してゆっくり床の上に沈んでいく。 驚愕するマルハレータの前で、リーシェはもぎ取った傘の上半分を床に捨て、冷ややかに笑った。 「アタシに勝てるとでも思ったのか?」 蔑みもあらわな魔女の視線を、マルハレータは声も無くただ呆然として受け止めた。 「ひとつ訂正しておこう」と、リーシェは綺麗な人差し指を立てて見せる。 「絶対零度で“万物が静止する”というのは古典的な考え方で、現実は少し違う。 霊子の不確定性ゆえ、実際には“万物は静止できない”からだ。このため、 例えばヘリウムは絶対零度まで冷却しても凍結せず、液体として存在できる」 マルハレータは、無言でただ瞬いた。 何を言っているのかまるで理解していない様子の彼女に、リーシェは微笑みかける。 「続きをしよう」 言うが早いか、立ち尽くしていたマルハレータの胸に、影さえ見えないようなリーシェの蹴りが突き刺さった。 マルハレータは人形のように斜め上方に真っ直ぐ弾き飛ばされ、広間の柱に激しく打ち付けられる。 「これは“ミケランジェロの分”」 リーシェは蹴り終えたポーズのままで言った。 ○○は思わずうめいた。そいつは生きてる。 半ば柱にめり込んでいたマルハレータの身体が剥がれ、床に落ちてくる。力なく崩れた貴婦人の身体を、 リーシェは片手で引き起こした。 そして同時に、リーシェは再びマルハレータの傷を完治させた。 「な……」 マルハレータは膝立ちの状態で、ぽかんとして目を見開いた。 「“即死”という言葉がある。だが、突き詰めて考えると、 それは意外に曖昧な概念だということに気付くだろう。即死とは一体何なのか?」 リーシェは淡々と語った。 「例えば胴体を半分に切断されれば、普通は“即死”だ。だが万が一切断直後に一瞬で完治した場合、 これは死なずに済む。即死とはつまり“治療が不可能か、間に合わない”という程度の意味だ」 リーシェはマルハレータを見下ろすと、この上もなく邪悪に微笑んだ。 「アタシは瞬時に治せるよ」 「ひっ」 マルハレータが恐怖の声を漏らし、両手で自分の身体を守ろうとする。それよりも早く、 リーシェはマルハレータを真上に蹴り上げていた。 薄闇に沈んだ擬似円環の、殆ど天井付近にまでその身体が跳ね上がる。 失速し、きりもみしながら落下を始めたマルハレータを、リーシェはその場で見上げて言った。 「少し強く行く。死なないように気をつけろ」 タイミングを見計らって、彼女は、くるり、とその場で舞うように全身を回した。 両横で結んだ長い髪が、遅れてふわりと動きについていく。 落下するマルハレータの身体がリーシェの眼前を過ぎ、地面に激突するまでの僅かな一瞬 ――その刹那の瞬間に、凄まじく鋭い後ろ回し蹴りが、これ以上ない正確さでマルハレータを捉えていた。 垂直に落ちてきたマルハレータの身体が、床に触れることなく水平に跳ね飛ばされる。 回し蹴りを放ったリーシェの足が、だん、と勢い良く床に着いた。 くの字に折れて吹き飛んだマルハレータの身体は広間の柱を半分砕いて尚も飛び、 そのまま奥の壁を破壊して瓦礫の中で静止した。 「これが“めろんたんの分”」 冷酷な顔に微かな笑みを浮かべて、リーシェはそう言った。 あっけに取られて見ていた○○は、ふと焼けるような異臭を感じ、白い床に視線を落とした。 リーシェがマルハレータに向かって歩き出す。彼女が立っていた場所には、黒い靴跡のようなものが残されていた。 (……え?) その正体に気付いた瞬間、○○は目を疑った。靴跡のように見えたのは、 広間の床石が融けてガラス化した部分だった。 (まさか、今、足を着いたときの摩擦熱で?) そう考えて、○○は乾いた笑いが漏れるのを感じた。人間の体重と動きで、そんな芸当が可能なはずはない。 第一、足元で石を溶かすほどの熱量が生じたら、床より先に靴が無くなってしまう。 「最後のひとつはアタシがやるわけにはいかないから、ここからは“アタシの分”にしよう」 瓦礫に埋もれたマルハレータを片手で引き出して、リーシェは淑女に言った。 「……助け……て」 マルハレータの口の端から、血の泡がこぼれる。次の瞬間、血の筋はすっと消え、彼女の傷は全回復していた。 マルハレータが恐怖に顔を歪める。リーシェはその顔を覗きこみ、小首を傾げて一層邪悪に微笑んだ。 「アタシがハリエットより優しそうに見えるのか?」 そして、マルハレータは再び“即死”に近い外傷を負った。 リーシェは即座にそれを治した。 直後にまたマルハレータの身体が破壊される。 リーシェはそれを治した。 「もうやめて下さい! 充分でしょう!」 マリーが叫んで、目をそむける。 リーシェはマリーの言葉を無視して、再びマルハレータに瀕死の重傷を負わせた。 リーシェはそれを治した。 間断なく繰り返される破壊と有り得ない再生との狭間で、マルハレータは肉体的には無傷でありながら、 重なり続けた痛みの記憶に押しつぶされつつあった。 全身の神経系は過負荷に焼かれて著しく失調し、やがて彼女の身体は、痛みを知覚すること自体を放棄した。 リーシェは、それすらも治した。 *** リーシェがぼろ雑巾のようになったマルハレータをずるずると引きずってきた時、 ハリエットでさえも呆然と立ち尽くしていた。 「今からもう一度だけ、この女を回復する。そうしたら、お前の番だ」 リーシェがマルハレータを掴んだ手を離し、ハリエットに言った。 マルハレータは力なく床に横たわり、ぴくりとも動かなかった。 「今度はお前が全力を出せば、確実に殺せる程度に留めておく。アタシの説教はもう無い。 生かすも殺すも、お前の選択次第だ」 ハリエットは目を閉じて浅く呼吸し、動悸を抑えるように自分の胸に手を当てた。 リーシェが真剣な声で付け加える。 「ただし――ピーテルは、お前が人を殺すようなことを望んではいなかった。最後にそれだけは教えておく」 瞬間、ハリエットは目を見開いた。そして、強い眼差しでリーシェを見つめて言う。 「リーシェ様……。今日までのことは、感謝しています。今の言葉の意味も、 ちゃんと解っているつもりです。でも……それでも貴女に、ピーテルのことを語って欲しくない」 「何も知らないくせに、か? 確かにそうだけど、実は全く知らないわけじゃない。多分、 ある面においてはお前よりも良く知っている」 ハリエットが俯いたまま小さく首を振る。リーシェは軽い調子で付け加えた。 「アタシ、ピーテルの日記、全部読んじゃったんだよね」 え、とハリエットは顔を上げた。 「怒るなよ? 元はと言えば、お前がアタシのところにノートを置いて行ったのが悪いんだからな。 お前はあれ、読んでないだろ? それが判る」 「……だから、何なんですか」 「今は細かい内容は省略するよ。けど、お前が今やろうとしていることは、ピーテルの願った方向とは違うってこと」 「ピーテルはもう、悲しむことも、喜ぶことも、ありません」 「その通りだよ。……だからハリエット、これはやっぱり、お前の心の問題だ」 リーシェが息をつく。 「戻ったらノートは返す。遠慮なく読んでしまえ。彼はきっと、そうして欲しかったはずだから。 そして、その時に後悔せずに済むような選択をしろ」 それは彼女にしては珍しい、優しい表情だった。 「リーシェ様――」 ハリエットは自分の手を見る。ゼノンの腕に包まれた左手を。 「リーシェ様が、本当は私を救いに来たんだってこと、解っているつもりです」 でも、とハリエットは顔を上げる。 「……それでも私、本当に! 本当に、赦せないんです!!」 半ば叫ぶようにハリエットは言った。 リーシェは黙したまま、目を細めてハリエットを見つめる。 だから――とハリエットが左手を構える。 リーシェは何も言わず、マルハレータの首を掴んでハリエットの前に無理やり立たせた。 『起きろ、ゼノン』 ハリエットのキーワードに反応し、ぎん、と力の篭った音が響く。 ゼノンの腕からふわりと風圧が発生し、同時に赤い光の粒子がさらさらと流れ出る。 ハリエットの身体能力が霊子レベルで補正され、彼女の瞳が翡翠の色から鮮やかな朱に変わる。 リーシェはただマルハレータを回復し、その手を離した。 次の瞬間――。 ハリエットはマルハレータの顔めがけ、全力で“右”の拳をぶつけていた。 骨が砕ける音が拳を伝わり、マルハレータの両脚は地面から浮き上がる。ハリエットはそのまま、 迷いなく右手を振りぬいた。 折れた数本の歯を残してマルハレータは後方に吹き飛び、遥か向こうの壁に激突する。 そこから下へ太い血の線を引きながら、貴婦人の身体はゆっくりと地面へ向けてずり落ちていった。 「これが……!」 ハリエットは崩れ落ちるマルハレータを見て、肩で息をした。 「これが、今の私に出来る、最大限の譲歩よ!!」 ハリエットは涙を流しながら叫んだ。 くずおれたマルハレータがその場で小さく口を開き、淀んだ目でハリエットを力なく睨み返す。彼女はまだ、生きていた。 「解った。誰にも文句は言わせない」 未だ呼吸の整わないハリエットを、リーシェは正面から優しく抱きとめた。 彼女の胸の中で、ハリエットは声を上げて泣いた。 「でも、そこはやっぱり、教えた通りに言って欲しかった」 リーシェはハリエットを見つめたまま小さく苦笑いして、仕方なく自分で言い添えた。 「――これが、“ピーテルの分”」 リーシェは少女の頭を軽く撫でてから、少し身体を離す。二人は顔を見合わせて、ほんの少しだけ笑った。 ゼノンの腕が、静かに光を失っていく。 そして、ハリエットの瞳は、本来の色を取り戻した。 *** 「信じられない……」 ハリエットを緩く抱き止めたリーシェの姿を、マリーは驚嘆というより恐怖に近い表情で見つめていた。 「この力は一体何? 介入者なんてレベルじゃない。一体これは――」 ハリエットが首だけをマリーに向ける。 彼女がリーシェの正体を問うているのだと気付き、ハリエットはゆるゆると首を横に振った。 リーシェが呆れたように笑う。 「なんだお前、気付いてなかったのか」 それから、リーシェはマリーと○○の方を向いて言った。 「アタシは創世の賢者が作り出した三至宝のひとつ、“アーネムの聖筆”だよ。もちろん、人間じゃない」 マリーは口を開けたまま、言葉を失った。 それは信じ難い話だったが、これだけのものを見せられては納得するよりない。 「だから言っただろ?」 リーシェは再びハリエットに向き直り、自嘲気味に笑った。 「――知性を持った道具なんて、実際にあったら面倒でかなわない」 「……そんなこと、ないです」 ハリエットは浮かべた涙を腕でぬぐって首を振り、あの日言った言葉を繰り返す。 「知性があった方が、絶対楽しいと思う」 「やっぱりお前は、能天気で考え無しだ」 真っ直ぐに見返してくるハリエットの額を、リーシェは指先で軽く小突いて、くすりと笑った。 「……だけど、ありがとう」 そう言ったリーシェの眼差しは、これまでになく真摯で純粋なものだった。 ハリエットがはにかむような微笑を返す。 ――その瞬間、バルタザールの声が広間に響き渡った。 『リーシェ、動くことを禁ずる』 ─See you Next phase─ |
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