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竜頭の樹上 |
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エルアークの前方。中央島の船首部分から、前へと突き出るような形で、
小さな島が一つ浮かんでいる。 “箱舟”を竜と表すなら、頭部というべきその場所にも、 箱舟の住人の一人が暮らしているとか。 ツヴァイが言うには、その人物は島の先端の更に先端とも言うべき場所に居るらしく、 そこに辿り着くのは中々に険しい──正確には不確かな道のりであるとかで、 『会いに行くなら、気をつけてくださいね。もし足を踏み外したら──』 説明中、ツヴァイがそこで言葉を切ると、至極にっこりと微笑んでいたのを思い出して、 ○○は独り苦笑いを浮かべる。 遠まわしに脅し、こちらの反応を愉しもうとする辺り、彼女も存外人が悪い。 もっとも、明確な害意があっての話ではなく、他愛もないからかいの域を出ないもの。 そう目くじらを立てる程のものでもないが。 ──それに、彼女の言も別段嘘という訳ではないだろう。 実際、箱舟の淵から下へと落ちてしまった場合、確実に命はあるまい。 ここから海面まで、一体どれ程の距離があるのか想像もつかない。 落下した人間を不可思議な力で拾い上げてくれるような特殊な機構がこの船に 備わっている可能性が無いでも無いが、 そんな確実性の無い話を信じて己の命を危険に晒す必要もない。 そういった機構があろうが無かろうが、落ちさえしなければどうでも良い話だ。 ○○は気を引き締めると、手の中に収まってこちらを見上げていた木霊に、 短く行き先を告げた。 *** 考えが甘かった。正直洒落《しゃれ》にならない。 小島の前方から、まるで角のように突き出た樹木の先端。そこが箱舟の住人、 “老師”が普段居る場所だとツヴァイは言っていた。 中央島から伸びた空中水路の欄干を伝って小島へと渡った○○は、 件の角状の樹木とやらを目の前にして、顔を引きつらせる。 ツヴァイの説明から抱いていたイメージでは、 精々木が一本横向きだか斜めだかに伸びている感じだったのだが、 今眼前に広がる光景はそんな生易しいものではなかった。 大の大人が何人手を繋いでも抱えきれない程の大きさの樹が何本も。 それらが捻るように絡み合って、遥か遠くへと伸びていた。 絡んだ樹はそれぞれの間に結構な隙間があり、 しかも上下左右へと無秩序に曲りくねっているお陰で、 立って進む事はまず不可能。更に老師と呼ばれる人物が居るという樹の先端とやらは、 うねる樹が邪魔をしてここからでは確認する事もできない。 (……ここを、進むのか) こんな場所をわざわざ抜けて、 老師という人物に会いに行かなければならない用がある訳でもない。 ここは諦めて城へと戻ろうか。そう考えかけた○○の隣を。 ぽろぽんぴろぴん。 と、気の抜ける音を発して木霊が通り過ぎていく。 ごつごつとして、それでいて丸い樹の上を器用に跳ねながら木霊は暫く進んでいって、 立ち止まったままの○○に気づいて停止。こちらを向くと、 ぴょんぴょんとその場で二度跳ねて見せた。 その仕草を言葉に変換すると、恐らくは「ついてきてー」といった所か。 「…………」 正直な話もう帰りたいのだが、 わざわざここまで案内してくれた木霊にそれを告げるのも悪い。 ○○は腹を括って先行く木霊の後を慎重に追いかけた。 幾度かの生命の危機を乗り越えて、○○は漸く目的の場所へと辿り着く。 角状の樹木の先端。幅十センチあるかないかといった程に細くなった枝の先に、 その老人は胡坐で座していた。 流石にその十センチ程の枝に足を乗せる気になれず。枝分かれする前の、 もう少し太い枝から○○が声を掛ければ、小柄な人影は胡坐のまま、 くるりとこちらへと振り返った。 「ほぅ? 見ない顔ですが──ああ、ツヴァイが言っていた新しい“迷い人”ですかな」 どうやら既にツヴァイから話が通ってるらしい。○○は頷いて、 取り敢えず名だけを名乗る。 「こちらこそ初めまして。私は、ここの者達からは“老師”と呼ばれている者です。 無論本名は別にありますが、ここでは本当の名など大して意味はありませんしな」 老人は白髭《しろひげ》の下から口元を笑みに引きつらせて一拍。そして、 深い皺が刻まれた目蓋の間から、じっとこちらを見る。 「さて。あなたはツヴァイから『縁の切れ方が、普通の迷い人より遥かに酷い』 と聞いていますが……どれ、もう少し詳しく見てみたいので、 こちらまで来ていただけませんかね」 細い枯れ木のような手がひょいひょいとこちらを招き寄せる。 確かに、老人との距離は十数メートルはある。会話にも少々支障がでそうな距離だ。 が、この体重を少し掛けるだけで折れそうな枝を渡って老人の近くまでいく度胸、 いや無謀さなど○○は持ち合わせていない。 「それもそうですな。ちゃんと気をつけていれば簡単なのですが、 その気をつけ方を知らない方に無理を言っても仕方がない。 それは今度教えるとして──」 す、と。 老人の姿が枝先から掻き消えて、次の瞬間、○○の目の前に胡坐のまま姿を現す。 驚く○○に、老人は宙に浮かんだ状態でにんまりと笑い、 「どれ、少し見せていただきましょうか」 ひょいと老人の指の先が○○の額に触れた。ひんやりとした感触が伝わる。 老人は暫し目を閉じて動きを止めて、そして指を○○の額から外すと 、一度二度と己の考えを確かめるように頷く。 「ふむ。確かに独特ですね。存在のカタチは迷い人とほぼ同じなのに、 本との縁が残滓《ざんし》すら感じられない。まるで一度も“本記名” された事のない記名存在のような、矛盾した──貴方、本当に“群書”か“単書” で生きていたのですか?」 と言われても、記憶がないのだから答えようが無い。 何ともいえぬ表情で固まる○○に、老人はふと表情を緩める。 「まぁそれは脇に置くとして、あなた、良いですな。縁を全く持っていないという事は、 どんな本の力も取り込めるという事ですから。あなたなら、 “挿入栞”を介せばあらゆる力を“原理述”として扱えるかもしれません」 「……?」 原理述。前に聞いたような気もする言葉だが、さて、何処でだったか。 「言ってみれば、系統として整えられた技法のようなものですね。本来なら名などなく、 型もないそれらを栞の力を使って捉えて、形を整えて、名を与え、己の物とする。 あなたが既に群書世界でそれなりの経験を積んでいるなら、 その恩恵も受けていると思いますが、どうです?」 言われて、戸惑いつつも頷く。 思い当たる事はあった。老人が言ったような力が、 身に備わる感触。 「本との縁の痕跡《こんせき》が全く無い。それはその力に対する適正がとても高い、 という事も示しています。しっかりと学べば、 あなたは色々と伸びるかもしれませんな」 老人は目を細めて笑うと、胡坐のままくるりと背を向けた。 「さ、もう城へと戻られるといい。他にも廻らねばならない所があるでしょう? ですが、一段落着いた後、時間があれば一度こちらへおいでなさい」 何故、と問う○○に、老人は懐から一冊の書物を取り出して、○○の方を見る。 「私が持つこの単書、“大陰極乃渡導”にて、原理述の──神秘による力の発現である “秘蹟”についての、基本的な知識を教えてさしあげましょう」 *** 老師の元から樹を伝って島まで戻り、更に空中水路を渡って中央島へ。 漸く城のエントランスまで戻り、○○は人心地つく。 さて、次は何処へ行こうか。 ーEnd of Sceneー |
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