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生物室



 教室には、シンクやガス器具を備えた大きな机が整然と並んでいる。
 暗く沈んだ室内を見渡してから蒼は、人差し指を口の前に立てて静かに、と促す。何らかの気配を感じ取ったのだろうか。
 蒼はその指で、ドアのところに立っていた各人の位置に応じて、あなたとヘルマーチンに壁沿いに右手まわりに、と指示を出した。 自分とトモキは左手まわりに行くと。
 気をつけて、と声を出さずに彼女の青い唇が動いた。
 うなずき合って、あなたたちは二手に分かれて進みだした。
 右の壁際の棚には、ガラス戸の向こうに、鳥や動物の骨格標本、剥製などが、ところせましと置かれていた。
 部屋の隅にひっそりとたたずむ人影は、すべてをむき出しにされ、暴かれてなお自らの運命に寡黙に耐えんとする人体模型だ。
 その隣には、深く悩むなよ、どうせ誰もが最後に行き着く先はここだとばかりに、相棒の人体骨格標本が空ろな笑みを浮かべている。
 待て。
 いま、棚のふくろうの目がきらりと動いて、あなたを見つめなかったか?
 化石の三葉虫が、ぞろりと岩の上を這わなかったか?
 バカな。剥製のガラスの目が見つめるわけがない。今から5億年以上も前に死んだ生き物が、 いきなり動き出すはずがない。
 もしそれが、ただの剥製であり、化石であるなら……。
 静まり返った夜の生物室というのは、訪れたい場所第一位に選ばれるようなところではないな。これっぽっちも、ない……。
 そんなことを思いながら、あなたはしんと静まり返った室内を進んでいった。なにか異変はないかと、あたりに素早く視線を投げつつ。
 その時。

 ふと、あなたは、かたわらを行くヘルマーチンに、 引っかかっていたことを尋ねてみる気になった。

「ヘルマーチン、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ?」

 ヘルマーチンは、足を止めずに答えた。

「ファントムがグールにとりつくのは危険だって、 そう言ってたけど……。実際に、それでヘルマーチン自身が、 蒼に捕らわれてしまったって」

「ああ」

「それじゃ、危険なことがわかってて、 どうしてヘルマーチンは蒼にとりつこうと考えたんだ?」

「………」



 ヘルマーチンは、固まった。ぴたり、とその場で動きを止めた。
 あなたもまた立ち止まって、彼の答えを待った。聞くまで、 ずっと待つつもりだった。
 しばらくしてから、ヘルマーチンはゆっくりと振り返り、 あなたを見つめた。
 やがてまた首を戻して、正面に向き直ると、ぽつりと

「あの時の俺は、蒼にとりつこうとしたファントムは、 今の俺じゃない……。この俺は、当時の俺の、 引きちぎられた一部でしかない……。だがその、 蒼にとりつこうとしたファントムは、世界には、 消してはいけないものがある。自分がどうなろうと構わない。 だが、それでも決して失わせてはならないものがある。 そんな何かを、この世界に来て、見つけたんじゃないか……」

 ヘルマーチンの言葉が、確かに胸の底に落ちるまで待ってから、

「そうか……。じゃあ、そのファントムは、 きっと幸せだったんだろうな」

 と、あなたは言った。
 びくりと、ヘルマーチンが、かすかに身じろぎしたような気がした。

「フン、そんなこと、俺にわかるものか。 くだらないこと言ってないで、あたりに気を配れ」

 いつにも増してぶっきらぼうに答えると、彼はまた歩き出した。
 その時。

 じ……。じじ……、じじじ……。
 なにか空気を振動させるような、嫌な音が聞こえた。

「ヘルマーチン、なにか聞こえ……」

「しッ!」

 あなたたちは足を止めて、周囲をうかがった。
 物音は、次第に高く、大きくなってゆき、 一気に耳を圧するまでになった。
 思わず耳をおさえて、あなたはうめいた。

「こ、これは……!?」

「まずい! 共鳴振動波だ! 棚から離れろ、○○! はや……」

 ヘルマーチンの叫びが終わらないうちに、バン!! と壁全体が破裂するようにして、棚のガラス戸が一斉に吹き飛んだ。
 砕けたガラスの雨を浴びながら、衝撃であなた自身も椅子を跳ね飛ばし、床に転がった。

「○○!?」

 部屋の向こう側から、トモキが叫ぶ。
 だが、狂ったような高周波の金属音が響くとトモキも両耳をおさえて、 床に膝をついた。

「うわあッ!!」

 頭が今にも破裂しそうに痛んだ。

「そこか!」

 と、蒼は天井に銃を向けた。

「ぎっ」

 と、羽を高速で震わせていた、 蚊とコオロギを混ぜ合わせたような大きな化け物が、 複眼で蒼をにらんだ。
 パン! パパン!!
 羽を打ち抜かれて、化け物は落下した。
 ドン! と机でバウンドして、もんどりうって床に転がる。

「大丈夫、○○、トモキ!?」

 音は止んでいた。

「ああ……、大丈夫だ」

 ガラスの破片をパラパラと落としながら、 ふらつきながらあなたは立ち上がった。

「くそッ、頭が割れるかと思ったぜ」

 と、首を振りながらトモキがうめいた。
 じ……。じじじ……!
 穴の開いた羽を震わせながら、そいつはゆっくり宙に浮かんだ。

「ぎ……。ぎぎっ! ぎぃーっ!!」

 叫びながら、そいつはあなたたちに飛びかかった。

モスキート(たぶん強そう)が現れた!



─See you Next phase─


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