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黒い染み



○○は、夜のサナトリウムで目を覚ました。

「……ピーテル?」

 ハリエットの声が聞こえた。ベッドに横たわったピーテルを見る。

 少年の胸には、服の上から氷の杭が打ち込まれていた。

「ピーテル……? うそ……?」

 少年の顔に生気はなく、唇は白かった。
 氷の杭からこぼれ続ける強い冷気でシーツは凍結し、 彼の顔には薄く霜が降りていた。
 胸からの出血は僅かに見える。だが、杭の周辺はシーツも衣服も、 肉も血も凍結していて、正確なところは判らない。

 ユルバン神父が、即座に少年の側に駆け寄って状態を確かめる。だが、 彼はすぐに目を閉じると、小さく首を振った。
 ハリエットはただ虚脱して、ベッドの脇に立ち尽くしていた。

 冷たい風が部屋に吹き込み、視界の隅で厚いカーテンが小さく揺れる。
 部屋の窓は開け放たれており、 ほとんど閉ざしていたはずのカーテンは片側だけが大きく開かれていた。
 気が付けば、黒猫の姿はなくなっている。窓から逃げたのだろうか?

「……外に誰かいる」

 神父が言って、残っていたもう片側のカーテンを開いた。

     ***

 外は月夜だった。
 サナトリウムの建物と白樺の林のちょうど中間あたりに、 ぼんやりとした月明かりを受ける大小ふたつの人影があった。

 片方は月光で青白く見える傘を差した貴婦人風の女、 もう片方は彼女に付き従う長い黒髪の少年。
 更にその二人と対峙して、人ではないものの姿があることに、 ○○は気付いた。――蜘蛛だった。

 既に片手ではつかめないほどの大きさにまで育っていた“彼女”は、 貴婦人目掛けて傷だらけの醜い脚を振り上げる。
 蜘蛛と二つの人影は争っているようだったが、その勝負は一方的だった。 貴婦人が微笑んで、片手に持った傘を軽く振りかざす。

「とどめよ」

 だん。だん。
 空中に出現した二本の氷の柱が鈍い音を立て、立て続けに蜘蛛の身体を貫いた。
 最初の一本は、振り上げられた蜘蛛の脚を切断して宙を舞わせる。もう一本は斑色の胴体に穴を穿ち、 そのまま蜘蛛を地面に縫い止め、凍結させた。
 二つの新たな傷口からあふれ出た黄色い体液が、 女と氷柱のこぼした冷気で瞬く間に白い氷の結晶に変わっていく。

「簡単でしたね」

 少年はにこにこして言った。

「お手柄よ、メルキオール。よくこれを見つけたわ」

 貴婦人は蜘蛛から目を逸らし、少年に微笑みかけた。

 その瞬間、残された蜘蛛の脚が弱々しく振り上げられた。
 爪先が貴婦人の左手をわずかにかすめ、 すっと白い手の甲に暗色の線を走らせる。

 胴体を地面に縫い付けられたまま繰り出されたその行動は、 とても攻撃とは呼べないものだった。
 だが、帽子を目深にかぶった貴婦人の顔には、さっと険の色が差す。

「……まだ生きていたのね」

 女は再び傘を振った。
 次々と空中に氷の柱が発生し、既に力なく地に伏していた蜘蛛の胴を、 頭部を、幾本もの氷柱が貫いた。蜘蛛の化け物の身体は、 もはやぴくりとも動かなかった。

「少し壊しすぎたかしら? では回収して下さいな、メルキオール」

「えー、これを僕が持つんですか?」

 貴婦人に命令され、メルキオールと呼ばれた少年は、 足元の物体を嫌そうに見つめながら靴先でつついた。

「目上の人に命令された時は、“はい、喜んで”と答えるものよ」

 貴婦人は冷たく微笑む。そうなんですか? と少年は首を傾げたが、 さほど長くは考えなかった。

「それなら――はい、喜んで」



 言って、少年はにっこりと微笑んだ。

     ***

 ○○は窓際に立ったまま、蜘蛛の死骸を両手で抱え上げる少年を見ていた。

(……メルキオールという名前だったんだな)

 彼の姿には見覚えがあった。
 あれは確か、初めてこの世界に○○が降り立った時のことだ。 彼は倒れていた○○の前にどこからか現れ、色々と妙な事を言っていた。

 ○○の脳裏に、あの時の少年の言葉が甦る。

 ――またいつか、会えますように。

 彼――メルキオールは、確かにそう言っていたはずだ。
 たった今、あっさり再会は果たされているように思える。しかし、 彼の方は別段それを喜んでいる様子はない。

 ○○がここに居ることに気付いていないのだろうか?  それとも、彼はそんなことは既に忘れてしまったのだろうか?

 そのどちらでもない、と○○は直感した。
 メルキオールの振る舞いは○○に気付いていないのではなく、 意図的に目を逸らしているように見えたからだ。

 もちろん、それはそれで意味が判らないのだが……。
 何か、勘違いをしているのだろうか?

     ***

「お部屋の方々もお目覚めのようね。面倒だから、そろそろ帰りましょうか」

 貴婦人はサナトリウムの部屋を見てそう言うと、蜘蛛を抱いた少年と共に踵を返した。



「待て!!」

 ハリエットは○○を押しのけると、病室の窓枠を飛び越えて外の芝生に降り立った。
 貴婦人が首だけで振り返る。

「あら。何か御用?」

「あんたが……あんたがピーテルを殺したのか!」

 ハリエットは怒りと悲しみで肩を震わせていた。 貴婦人は優美な仕草で首を少し傾ける。

「ピーテル? この蜘蛛に憑かれていた少年のことかしら」

 貴婦人はメルキオールに持たせた大きな蜘蛛の死骸を、蔑むように見た。

「なんで! ……なんで、こんなことを……!」

 ハリエットは涙で言葉を途切れ途切れにしながら言った。
 やれやれ、と言いたげな様子で婦人は息をついた。


「それはね、どうでもいいからですよ」

 ハリエットは目を見開いた。
 あまりに強く歯噛みしたため、その音が聞こえたほどだった。

「どうせその子は遠からず蜘蛛に殺されていたのだから、 手間が省けて良かったでしょう?」

「良かったでしょーう」

 少年は手を挙げて、にこやかに反復した。淑女は薄く微笑んだ。

「わたくしはマルハレータ。貴方達が外なる者を追うのなら、 また会うこともあるでしょう」

「また会うこともあるでしょーう!」

 楽しそうに言って少年は大きく手を振り、二人は背を向けた。

「ふざけるな!!」

 ハリエットが叫ぶと同時に駆け出した。マルハレータが再び振り返る。

「騒々しい子ね。――やはりわたくしの言った通り、 全員殺しておくべきだったのではないかしら?」

 彼女は片手に白い傘を構えると、目深にかぶった帽子の下で、 冷たい目を鬱陶しそうに歪めた。
 軋んだ音を立て、彼女の周囲で空気中の水分が凍結を始める。 夜気の中に生み出された無数の微細な結晶が、 白い月の光に照らされてキラキラと宝石のように輝いた。

氷の微笑(とても強そう)



戦闘省略

     ***

「そこまでにして下さい、マルハレータさん」



 メルキオールは蜘蛛を地面に置き、傘を持つマルハレータの手首をつかんでいた。

「あら。どうしたの? ぼうや」

 淑女は冷たい目で彼を見下した。少年は毅然とした口調で返す。

「これ以上は駄目です。すぐに帰ります」

「理由を言いなさいな」

 マルハレータは肩をすくめた。
 メルキオールが少し迷ったような様子を見せる。その目が一瞬、 ○○を捉えたように思えたのは、気のせいだろうか?

「……もう、眠くなりました」

 少年は申し訳無さそうに微笑んだ。

「あらあら、それは大変」

 マルハレータは子供をあやすように言った。

「では、急いで門を開いてちょうだいな」

「はい、喜んで」

 少年は満面の笑みで答え、蜘蛛を再び抱え上げた。
 彼と淑女とそして蜘蛛の死骸が、夜の闇の中に吸い込まれるように消えていく。

「それでは皆様、ご機嫌よう」

 マルハレータは微笑と共にそう言い残して、消えた。
 二人の姿は完全に見えなくなり、夜の芝生の上には、 放射状に広がる白い凍結の跡だけが残された。

 ハリエットの絶叫が、白樺の林に木霊した。

     ***

 サナトリウム一階の廊下の、一番奥。そこに、死者のための部屋があった。

 薄暗い部屋の中で、ハリエットはピーテルの亡骸にすがり、歯を食いしばって泣いていた。
 医者や神父が周囲で何かを言っていたような気がする。だが、そのどれもが彼女の耳には届いていなかった。

 ――どうしてこんなことに?

 極端に小さな窓から射し込む月明かりが、ピーテルの死に顔を照らしていた。
 ハリエットは彼の姿を、ただじっと見る。 少年の胸に突き刺さっていた氷柱は既に取り除かれていた。でも、 今は出血もない。生きていないから。
 新しく掛けられた清潔な白いシーツの上に、彼女の涙がこぼれ落ちた。

 どれくらいの時間そうしていたのだろう。
 ふと、ハリエットは自分の心の中に何かが湧き上がっていることに気が付いた。
 その存在に意識を向けると、胸の奥がじくじくと痛む。それはまるで、 黒い染みのように感じられた。

 ――許さない……。

 そう言葉にしてみた瞬間、胸の内に生まれた黒い染みが、急速に膨らんだ。

 ――許さない許さない許さない許さない絶対に許さない絶対に! 絶対に!  絶対に!

 つぶれそうになった彼女の心は、今や黒く塗りつぶされて形を変えていた。
 彼女にとってそれは、生まれて初めての感情だった。

 微笑を浮かべたマルハレータの横顔が、拭い難い憎しみと共に思い起こされる。
 渦巻く激情はやがてひとつの言葉となり、彼女の全身を支配した。

 ――殺してやる!!

 自分の中に生まれた感情の正体に、ハリエットはようやく辿りついた。
 同時に、彼女の周りで世界の全てが色を失った。

     ***

 ピーテルの遺体は、翌日密葬された。

 自失状態だったハリエットに代わり、段取りはユルバン神父が行ったそうだ。
 親族が他に居ないため、葬儀は極めて簡素でひそやかなものとなった。

 変死であるがゆえ、サナトリウムにはボーレンスの衛士達が駆けつけて様々な調査を行ったが、もちろん何の役にも立たなかった。

 そして、その夜からハリエットは消息を絶った。

     ***

 ――夜の森。

 獣や鳥の声が奏でる不気味な音色を遠くに聞きながら、 ハリエットは一人、その家の門戸を叩いていた。
 彼女を出迎えたのは、猫を連れた長い髪の魔女だった。



「私を奴隷にして」

 戸口に立ったリーシェに向かって、ハリエットは無表情でそう言った。

「良いよ」

 こんな時間だというのにリーシェはあっさりそれを受け入れた。招かれるまま、 ハリエットは魔女の家に足を踏み入れる。

「じゃあ、手始めに全部脱いでみようか」

 リーシェは悪戯っぽく笑った。
 そして、ハリエットが着けたままの“ゼノンの腕”をつかみ、 片方ずつ順に外してやった。
 今まで外れなかった左の手甲が何の抵抗もなくあっさりと外れるのを、 ハリエットは無感動に見つめていた。

 それから、ハリエットは黙ったまま、言われた通りにした。

「……ふぅん」

 畳んだ服を受け取って、リーシェは醒めた目でハリエットの裸体を見つめる。

「何でも良いから早くして」

 ハリエットは棒立ちのまま、無気力に言い放った。
 リーシェは彼女にくるりと背を向けると、 丸机の上にハリエットの衣服とゼノンの腕を置いた。

「お前、可愛いげが無くなったね。何があった?」

 背中越しにリーシェが言う。ハリエットはその言葉を無視した。

「まあいい」

 リーシェは椅子に腰を下ろすと、ハリエットを見た。

「それで、今度は何を望む?」

 リーシェは机の上に肘をつき、指を組んで顎《あご》を乗せる。 ハリエットは、ぽつりと言った。

「……死者を甦らせることは、できますか?」

「無理だ」

 リーシェは即答した。

「死とはつまるところ、心の在り処たる霊子状態が失われることだ。そして、 霊子状態は複製も観測もできない。復元は不可能だ」

「そう」

 半ば予想していた答えに、ハリエットは俯いた。

「なんだか興醒めだな。これは一旦返そう」

 リーシェはつまらなそうに言って、畳んであったハリエットの服を投げて返した。
 彼女が服を着直すのを、リーシェはただ黙って見ていた。

 ――“近似”を許すなら、“アーネムの聖筆”で死者蘇生を実行した例はある。

 そのことを、リーシェは知っていた。
 だがそれで復元されるのは結局のところ、肉体だけだ。 中身は全くの別人であったり、人ではない何かとなる。
 ハリエットが望むのは当然、そういうことでは無いのだろう。

 だから、リーシェはあえてそれを教えなかった。
 もし言えば、人間は必ずそれにすがる。“もしかしたら” という望みを捨て切れないからだ。
 そして、その儚い希望こそが、人を更なる絶望へと突き落とす。 彼女はそんな光景を、幾度と無く見ていた。

「……他に何かある?」

 目の前の少女が服を着終わるのを待ってから、リーシェは素っ気無く言った。
 ハリエットは静かに顔を上げる。椅子に座った魔女を見るその瞳に、 ようやく感情らしき火が点った。

「強さが欲しい……!」

 ハリエットは吐き出すように叫んでいた。

「どんな奴が相手でも、殺せるぐらいの強さが!!」

 リーシェは少しだけ悲しそうに眼を細め、頷いた。

「――解った」

─End of Scene─






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