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歌舞伎町(?) |
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僕は、行く手をはばむ人の波をかきわけて進む。 誰が誰かなんて区別がつかない顔のない人の波。 もちろん、僕もそんな顔のない人のひとりだ。 誰かにぶつかっても、 酔い混じりの罵声にかき消されるだけの存在。 誰にもつながらない透明人間。 さびしくて、孤独で、窒息しそうになる。 それにしても、さっきから息苦しい。 意識が真っ白で、飛びそうになる。 だいたい、何で僕は歌舞伎町なんかで全力疾走してるんだ!? 自分でも意味がわからない。 でも、立ち止まっちゃいけない気がする。 僕は懸命に記憶をたどる。 そうだ、財布を盗られたんだ。 盗ったアイツは、どこだ!? ああ、でも、もうダメだ。目の前が白い。 この際、財布はもうどうでもいい。 あの時の僕は自分が情けなくて、 怒りにまかせて走っていたんだ。 でも、走ったのは一瞬だけ。フラッシュ。 白い光。記憶が混濁する。 だいたい、僕は本当に財布を盗られたのか? 盗られたときは、すぐに捕まえて取り返したはずだ。 こんなに走った記憶はない。 僕はいつも財布を入れているポケットをまさぐる。 財布とは違う感触。不吉な胸騒ぎ。 なんだこれは? 僕は、謎の感触をポケットから取り出しながら、 走るスピードを落とす。 立ち止まってその物体を確認したとき、 僕の腕に激痛がはしった。 「署まできなさい」 驚いて振り返る。 僕の腕を、警官が掴んでいた。 抵抗なんて無駄だった。 だって僕の手は、ナイフを握り締めていたから。 −−いや、ちょっとまて。 これは僕の記憶じゃない。 こんなナイフ、見たこともない! そうか、夢か? でも、この腕の痛みも、息苦しさも、 夢とは思えないほど、リアルだった。 僕の現実が音を立てて崩れていく。 でも、耳をすましても、その音は聞こえなかった。 まるで、深海の奥底にいるみたいに。 小さくて圧迫感のある部屋。 中央に事務机。 僕は何時間、この狭い部屋にいるんだろう? 僕の正面に座っている警官は、 威圧的に僕を説教し続けていた。 警官に声をかけられて、僕は逃げ出して、捕まって、 今ここにいる。 走っている前のことはまったく身に覚えがない。 この僕は誰なんだ? 今、僕は何を考えている? 意識に、別人の思考が侵食している!? 警官の説教によると、僕は歌舞伎町の真ん中で立ち尽くして、 小さな声で歌を口ずさみながら、ナイフを見つめていたらしい。 思い浮かぶは、あのメロディ。 世界の終わりに響き渡る美しい旋律。 僕は、ふたつの東京をさまよう吟遊詩人。 あるときは、戦時社会の変革を望む、時代遅れのアジテーター。 あるときは、見知らぬ誰かに体を奪われ、 人の道を外れ始めたアウトサイダー。 「歌舞伎町の真ん中で、 何をするつもりだった?」 警官に尋問された。 そんなことは、こっちが聞きたい。 なのに、僕はただヘラヘラと薄気味悪く笑うだけだった。 ここにいる僕は、僕の知る僕とは別人だ。 見知らぬ他人。 顔のない誰でもない自分。 現実世界には、僕の知らない僕がいた。 僕の知らない僕のニヤけた態度に激怒した警官は僕の襟首を掴み、 力ずくで自白を迫ってきた。 僕は息苦しくなり、目の前が真っ白になった。 ♪遠く離れていても、つながっているのかな? 場違いなメロディが鳴り響いた気がした。 次の瞬間、僕は一切の音と光のない闇にいた。 これまで何度か経験した、重苦しい漆黒の闇だった。 −End of Scene− |
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