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復讐の意味


 ○○はホールの台座に乗ると、エルアークのものと同じように側面のレバーを操作した。
 がくん、と大きく一度揺れたあと、台座は滑らかな動きで床の下へと沈み始めた。

「……良く判りましたね、この仕掛け」

 台座に同乗したマリーが感心したように言う。
 前に似たような仕掛けを見たことがあるのだと――○○は正直に、 しかし適当にぼかしつつ答えた。
 台座のように見えるこの物体が、実は柱であることも承知している。 そして、実際にその通りであることがすぐに判った。

 押し黙った○○とマリーを乗せて、昇降機たる柱はゆっくりと下へ降りて行く。
 分厚い床の層を抜けると、眼下には円筒状の巨大な広間が姿を見せた。

 まず最初に気が付いたのは、広い、ということだった。
 白い滑らかな曲面を描く内壁は、雰囲気としてはエルアークの円環の広間と良く似ている。
 ただ、その直径は少なく見積もっても倍以上あるようだった。面積比で言えば四倍以上の広さということになる。
 円環の広間に幾つも並んでいたような巨大な扉は、ここには無い。代わりに幾つかの通常用途の扉が四方に存在していた。
(……そうか)
 この構造の差は、“群書”を納めるスペースが存在しないせいだと、○○は気が付いた。
 なるほど、確かにこれは“擬似”円環だ。

 柱は更に降下を続ける。
 広く、そして薄暗い擬似円環の中心には、一人の少女が立っていた。
 ○○は未だ降下を続ける台座の上から、彼女を見下ろした。

「ハリエットさん!」

 マリーが少女に呼びかける。ハリエットは翡翠色の瞳で、こちらを見返した。



「――○○」

 ハリエットは小さく驚きの声を上げた。

「帰りましょう。神父様も、心配しておられます」

 マリーが言ったが、ハリエットは小さく首を振っただけだった。
 台座が床面付近にまで降下し、音も無く静止する。
 ○○が床に飛び降りると同時に――広間に、新たな人物が姿を現した。

     ***

 マノットは、ゼネラルロッツの外れに出現した“甘露の門”を越え、エメト山上空に出現した船へと降り立った。
 聖賢省による招集は戦闘を前提としたものだったが、彼は防具などは身に着けず、普段と同じ紫の装束に身を包んでいる。
 手に持った武器は小ぶりな片手剣ひとふりだけ。均衡省に居たころに愛用していた武器だったが、彼にはもう、戦闘意欲は全く無かった。
 既に均衡省を去った彼には、本来招集に応じる義務すら無い。ここまで来たのは単純に、義理のためだけだった。

「こっちこっちー」

 背後から少女の声がする。
 振り返ると、血の海となった船尾の石畳の上に、年端も行かない二人の少女が立っていた。



 二人は対照的な白と黒の衣装を身にまとい、無邪気に笑っている。
 マノットに手を振っていたのは、片手に信じられない大きさの斧を持った黒服の少女だった。
 その隣では、白服の少女が笑顔のまま、手に付いた血をハンカチでぬぐっている。


「酷いな……」

 マノットは顔をしかめた。
“甘露の門”を越えることの出来た数少ない騎士達は、軒並み惨殺されていた。
 再び少女に視線を戻したマノットは、彼女達の笑みがぴたりと凍っていることに気付く。
 お姉さま――と、白服の少女はもう一人の少女に言った。

「――マノット!!」

 黒服の少女が叫んだ。その瞳孔が、ぎゅっと収縮する。
 マノットは眉を寄せた。

「……何?」

「やっと会えたね!! マノット・ランブレー!!」

 少女は声を上げて笑った。それはほとんど、狂笑だった。

「……誰だ?」

 マノットは不審げに言った。目の前の少女達とは、どちらとも面識は無い。

「貴方は知らないでしょう。でも、私達は貴方を良く知っているわ」

「あんたがルーメンの村でやったこと、忘れたなんて言わせないよ!」

「ルーメン――」

 その言葉で、マノットは思い出した。何年も前の話だった。
 彼がまだ均衡省で“狩人”として働いていた頃のことだ。
 マノットは一度だけ、ルーメンの村で“仕事”をした。
 介入者と認定された一人の女性を“処理”した時、彼はその部屋のクローゼットの中に、誰かが隠れていることに気が付いた。
 規則に従うなら、それは同様に処分しなければならない対象である可能性が高い。だが、彼はそうしなかった。

「……そうか、あの時の」

 あの時、クローゼットの中に居たのは、この子達だったのか。
 ならば、彼女達は見ていたはずだ。自分達の母親がマノットの剣で葬られる、 その瞬間を。


「『あの時の』って何? 気付いてたんだ、あははは!」

「見逃してやった、とでも言いたいのかしら?」

 少女達は笑って、それぞれ巨大な鉄槌と斧を持ち上げた。

「マノット!! あの世で母さんが待ってるよ!!」

 二人の少女が、強く床を蹴った。

 ――ああ。

 考えるよりも早く、マノットの身体は剣を構えていた。
 だが、狂ったような笑みを浮かべる少女達の顔を見て、 彼はその手を下ろした。

「誰か、この子達を……」

 マノットの手から剣が滑り落ち、床で金属音を立てた。

 ――救ってやってくれ。

 少女達が眼前に迫る。マノットは目を閉じた。

     ***

「――マルハレータ!」

 ハリエットは広場に現れた人物を見て、無意識の内に叫んでいた。その声が、 擬似円環の中で反響する。
 淑女は「あら」と声を出して首を傾け、微かに笑んだ。

「わたくしに何か御用かしら?」

 マルハレータは何の気負いも無くそう言った。




「お前を殺す!!」

 ハリエットは左手を構え、ゼノンの腕の力を解放した。
 この復讐に何の意味があるのか。そんなことは露ほども考えてはいない。
 ただ抑えがたい衝動に突き動かされ、これこそが自分の為すべきことなのだと、ハリエットは無条件に信じていた。

「面白いわ。相手をしてあげても良くってよ」

 マルハレータがたおやかに笑って、白い傘を開いた。
 朱色に塗り替わった瞳に憎悪の火を灯し、ハリエットはマルハレータを強く見据える。
 身体が震えるようだった。焼けつくような怒りと共に、うっとりとするほどの甘美な喜びが、全身を満たす。

 ついに来たのだ。

 ――この女を、自分の手で殺せる時が!!

     ***

 ジュリエッタとジュリアンヌは、石畳の上で放心して座り込んでいた。
 辺りは相変わらず血の海だった。今はもう、敵は一人もいない。

 こつ、こつ、と小さな靴音が響く。
 彼女達は音の方を見ようともしなかった。

「これはまた、随分と散らかしましたね」

 黒い礼服を着た老紳士が、彼女達に向かって言った。

「……バルタザール」

 そこでようやく、双子は座ったままで老紳士の方に首を向けた。

「お取り込み中すみませんが、そろそろ私の計画も最終段階に進めようかと思いましてね」

「……何のこと?」

「メルキオール、お願いします」

 はーい、という明るい声と共に、メルキオールが姿を見せた。 少年は老紳士の脇に立ち、にこにこと笑っている。
 老紳士は双子に言った。

「そのまま大人しくしていて下さい」

「どういうこと、ですの」

 話の見えない様子のジュリアンヌに、そうですね――とバルタザールは言った。

「例えば、ハギス牧場のハギスというのは、上等な餌を与えられ、 大切に育てられているでしょう。それは全て、彼らが後で“食べられる” 運命であるがゆえ、です」

 尚も意味を掴みかねている双子の少女に向かって、老紳士は宣告した。

「貴女達も同じです。メルキオールの糧となって下さい」

 バルタザールは口元に微笑を浮かべる。その目はいつものように、 少しも笑ってなどいなかった。

     ***

「――そんなことだろうと思ってたよ」

 突然の声と共に、ユベールがバルタザールの前に姿を見せた。
 いつからそこに居たのか、彼は庭園と船尾周辺に幾つもある巨石の陰に潜んでいたようだった。

「おやユベール。そんなところで立ち聞きとは、意外ですね」



「意外な事をするのは、手品師の仕事だからな」

 ユベールは双子の側に立ち、バルタザールの前で空中にカードの束を滑らせ、 何重もの列を作り出す。
 バルタザールは余裕たっぷりに笑った。

「まさかとは思いますが、ユベール、貴方が私の相手をするおつもりですか?」

「さてどうだろう。……そういえば、前にも似たようなことを聞いた奴がいたな」

 ユベールは軽く笑って続けた。

「覚えておくと良い。手品師は、これから何をやるのか、言わないものだ」

「勉強になりますな」

「だろう?」

 ユベールは薄く笑ってから、僅かに双子の方を見た。
 尚も座っているジュリエッタとジュリアンヌに向けて、彼は小声で言った。

 ――逃げろ、と。

     ***

氷の貴婦人(とても強そう)が現れた!




─See you Next phase─











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