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越境、それから

雪だるま達



     ***

「よし! よくやった!」

 ハリエットは快哉を叫ぶと、 雪だるまによって通行可能になった小道を小走りに進んだ。
 〇〇が後を追うと、数歩先で彼女は振り返り、 笑いながらも恭《うやうや》しい仕草で礼をした。



「ようこそ、ベルン公国へ」

     ***

「ここまでで約束は半分。あとは旅券の入手についてだけど…… それはまた次のお手伝いをしてもらってからね! あーさぶ!」

 ハリエットは唇を青くして外套の中で震えながら、再び歩き出した。
 空からは先ほど巻き上げられたのとはまた別の、 細かな雪がちらほらと降り始めている。

「で……実はその前に私はボーレンスで色々やっとくことがあるから、 そうだなー、手伝ってもらう準備ができたら、 そのうち黒猫商会とか使ってお呼び立てするね。 それまでベルンの観光するなりレンツールに戻るなり、適当にやっててよ」

 時折〇〇の方を振り返って確認しながら、 ハリエットは雪道を東へ歩き続けた。
 道の左側はエメト山へと続く急斜面、 右側は麓へ続くであろう下りの斜面だが、どちらにも道はない。

 今や空は灰色に重く垂れ込め、雪風も次第に強くなりつつあった。
 天気がよければ右手に麓の景色が一望できるのかも知れなかったが、 今はただ薄暗い闇の中を雪が舞っているのが見えるだけだ。

「本当は先にお手伝いを頼みたいとこだけどさー。 ボーレンスのサナトリウムに弟がいるから、色々面倒なこともあるんだよねー」

 ハリエットは顔にかかる雪を払いつつ、少し苦い笑いを浮かべて見せた。
 サナトリウムということは、弟さんは療養中なのだろうか。
 ひょっとすると彼女が盗みを働いているのはそれに関係しているのではないか―― とも思ったが、 余り立ち入ったことを訊くのもなんなので言葉にはしないでおく。
 しかし、金銭目当てにしては、 何か特定の品物に固執している様子なのも気にかかるところだ。

「ま、そういうわけで私は先にボーレンスに行っとくよ」

 しばらく歩いたところで彼女はそう言って、 急に右手に方向転換する。
 そちらには依然道はなく、あるのは凍結した急な下り坂 ……というよりも切り立った崖に近い急斜面だけだ。

「ここから降りるのが麓までの最短距離なんだよねー。 ま、ちょっと初心者にはおすすめできないかも」

 〇〇はハリエットと並んで目を凝らしてみたが、 下り坂の先は灰色の闇に閉ざされていて判然としない。
 吹雪の中で先の見えない急斜面というのは、 何かとてつもなく恐ろしいものに思えた。
 しかも、斜面に薄く積もった雪の下には厚い氷が張っているようだ。

(これは……死ぬんじゃないか?)

 おそらくこの南向きの斜面は、積雪が日中の陽射しで溶けては凍り、 それを繰り返して氷の坂を築いているものだろう。
 下手をすると一気に下まで滑落して命を落とすのではないか――と、 そう思える。

「大丈夫大丈夫、慣れてるからさー」

 不安が顔に表れていたのか、ハリエットは明るい調子でそう言った。

「それじゃ、お先に……」

 それだけ告げてから、 彼女は思い切りよく凍結した急斜面に飛び出していった。
 滑り落ちる速度は次第に増して行き、 やがてハリエットの後姿は雪風の向こうに消えてしまう。

 ややあって、遥か下の方から「ぎゃー」 という悲鳴が聞こえたような気がしたが、 きっと風の音か何かを聞き違えたのだろう。……多分。

     ***

 さて、いよいよ国境を越えてベルン領内に足を踏み入れたわけだが……。
 ここから進める道は4つある。

 まず一つは東へと伸びる道。
 急斜面を迂回して南に続いていると思われるこの道は、 最も無難な選択となるだろう。

 今一つは西へと戻る道。
 当然ながらレンツール側に帰る道になるので、今は用事は無いはずだ。

 三つ目は北東方向へ登る道。
 何があるのか知らないが、 これから山を下りようという時に選ぶ道ではないような気がする。

 そして最後は、今しがたハリエットが滑落――ではなく、 滑降していった急斜面。
 これは山を下りるなら確かに最短距離となるだろうが、 見るからに危険である。

 さて、どうしたものか。

─End of Scene─




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